【阪神大物駅】ユニチカ記念館に探る「東洋一」の気概と尼崎市外局番「06」のナゾ!?

 

 駅をスタート地点に、ちょっとマニアックな視点で街を眺める「各駅停車で行こう!」。第3回は、梅 田から、まさに阪神電車の各駅停車(普通)に揺られて約20分の大物駅へやって来た。

 大物と書いて「だいもつ」と読む。梅田~神戸三宮・元町を結ぶ阪神本線と、尼崎から西九条を経て大阪難波へ伸びる阪神なんば線の分岐駅。しかしながら、急行や特急は停車しないため、本線となんば線の乗り換え駅の座は西隣の尼崎駅に譲っている。

本線と阪神なんば線が分岐する大物駅。急行や特急がひっきりなしに通過する

 そんなローカル感満載の大物駅で降り、南東へ徒歩7分にあるユニチカ記念館を訪ねた。

 大手繊維メーカーのユニチカ(本社・大阪市中央区)の前身である尼崎紡績が1900(明治30)年に本社事務所として建築した建物を修復して開設している記念館。路地が入り組む住宅街を抜けると、長く続くレンガ塀の先に、2階建ての重厚なレンガ造りの洋館が目に飛び込んだ。尼崎市に現存する洋式建物としては最古。レンガを互い違いに積み上げた「イギリス積み」の外壁、アーチ型の上下開閉式の窓が規則正しく並び、上品さと力強さが同居する独特の雰囲気に圧倒される。大物にこんな瀟洒な洋館があったなんて!

力強いレンガ造りが印象的なユニチカ記念館

 驚きながら中に踏み入ると、内装も手抜きがない。

 玄関には光沢のある石畳、思わず見上げる高い天井、そして応接間には豪華な暖炉がしつらえられ、階段の手すりには精巧な彫刻がさりげなく施されている。この建物が開設された当時は、周囲に同様のレンガ造りの工場が立ち並び、東端は隣りの現在の杭瀬(くいせ)駅あたりまで一帯が、敷地だったという。従業員住宅、子どもたちが通う学校や病院まで設けられ、言ってみれば、ひとつの“町”だったのだ。

 「東洋一の紡績会社の工場」。太平洋戦争の空襲で被害を受け、戦後に規模が縮小されたため、いまはこの記念館が残るのみだが、そんな呼び名も十分に納得させてくれる壮麗なたたずまいで、日本の近代化を支えた栄華を今に伝え続けている。

豪華な暖炉もある応接間

 展示物も見ものが多い。工場の上棟式で使われた「鏑矢(かぶらや)」や「雁股矢(がんまたや)」は当時のまま残されているほか、屋根を飾っていた鬼瓦には社章が巧みに刻み込まれ、当時の経営者や設計者の建物にかけた気概を感じ取れる。

 また、尼崎紡績の設立願書に目を向けると、そこには「広岡信五郎」の直筆署名と押印が! 朝ドラ「あさが来た」の主人公の夫のモデルとなった人物で、1889(明治29)年から2年間、同社の初代社長を務めていたのだ。「あさが来た」人気で、入館者も伸びているという。

設立願書には広岡信五郎の名前も!

 そして、ユニチカと言えば、バレーボールを連想する人も多いはず。1964(昭和39)年の東京オリンピックで金メダルを獲得し、「東洋の魔女」の異名で全国を沸かせたバレーボール女子日本代表に多くの選手を輩出した「ニチボー貝塚」の選手にまつわるトロフィーや盾、ユニホームなども1階を中心に大切に並べられていた。「鬼の・・・」のフレーズで一世を風靡した大松博文監督が五輪開会式で着用した赤いブレザーと白いスラックスは時間の経過を感じさせず、一見の価値ありだ。

バレーボールに関する資料も多数展示されている

 そうしていろいろと見入っているうちに、さらに発見があった。

 設立願書と並んで、ショーケースに展示されてた「電話架設願書」なる書面の束。新工場を開くにあたり、同社が大阪の市街地から尼崎まで電話回線を引くための特別な許可を得るための申請書だという。尼崎工場の敷地は、尼崎市と大阪市西淀川区を隔てる左門殿川に面して広がり、取引先が集まる大阪側とつながったほうが業務上も効率的と判断したからか、電柱も自社で立てて電話回線を引き込む熱の入れようだった。

「06」のきっかけになった(?)電話架設願書

 実はこの時に引いた大阪からの電話回線が、尼崎市の市外局番が、兵庫県にも関わらず、「06」になっている理由のひとつとされている。

 尼崎市内には伊丹など他方面からも電話回線が引かれていたようで、市外局番の制度が始まるは戦後になってからのため、他の主張をする人もいる。ただ、大阪との電話回線を最初に強く結んだのは尼崎紡績であることは間違いなく、将来の「06」導入の布石となったとは言えるだろう。兵庫でありながら大阪カラーの色濃い尼崎を語るとき、市外局番はよく語られるため、尼崎のアイデンティティー形成に一役買ったとは言い過ぎだろうか。

国道43号で尼崎市に入ってすぐにあるユニチカ記念館(写真中央の奥)

 なにかと掘り出し物が多かったユニチカ記念館。2階の展示室に置かれていた旧国鉄の特急列車「はと」のヘッドマークも特に目を引いた。昭和天皇が、戦後の全国行幸で「はと」を利用された際、沿線で手を振って迎えた大日本紡績(ユニチカの前身)の工員たちに感銘を受け、俳句を読まれたという逸話にちなんで、国鉄から寄贈されたという。博物館に収められていてもおかしくないような代物で、それにまつわる話も実に奥深い。

特急「はと」のヘッドマーク

 これまで何度となく通過するだけだった大物駅の先には、先の戦災や阪神・淡路大震災をも乗り越え、日本の近代化を静かに語る建物空間が広がっていた。

 ユニチカ記念館は毎週水曜日10~12時、13~15時のみ公開。入場は無料。臨時休館の場合があるので訪問時は電話で事前に確認を。電話06・6481・0525。(鈴)

「繊維から高分子事業へと発展してきた会社の歴史を知ってほしい」と記念館担当の立石さん

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 「各駅停車で行こう!」は、駅から始まる人や街の話題を少しマニアックにつづります。




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