【藤本さんちの“こくはく・こくはつ”】Vol.5 お化けと毛虫と(長女 有子さんの巻)

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 今年もまたいつの間にか夏がやって来た。この間などは、日中三十五度などという必殺の気温で、うれしそうになくセミに石の一コでも投げつけてやりたいというものだ。全く、学校は学校で、このときとばかりにめいっぱい宿題を出すし、“休み”は何のためにあるのかわからないまま(というか、それを口実に)、ダラーッと暮らす。

 夏というと出てくるのが“怪談”である。これは三人も四人も集まって見たって、あまり効果がない。一人で、自分が幽霊になったつもりで見て、はじめてゾッとする。土曜日の深夜にやっているので、一人でテレビの真ん前にすわって、ニタッと笑って見ることにしている。(でも、他のチャンネルではアメリカン・フットボールをやっていて、チャンネルの確保がむずかしいことが玉にキズなのだが)

 “四谷怪談”とか“牡丹灯籠”などは怪談の中でも特によく知られているものだが、こう毎年毎年見ていたら、話の筋がわかっていて、おもしろくないときがある。こわい場面になったら、

 「あぁ、こんなん、芝居や芝居や」

 と、必死に思いこむようにしている。でも、やっぱり、こわいものはこわい。昔の人はよく考えたものだ。いまならさしずめ、コインロッカーに捨てられた赤ちゃんの幽霊なんていうのが、怪談話のヒーローになれるだろう。

 日本のお化けのほとんどは女で、外国のお化けは男が多い、といったことを聞いたことがあるが、確かにわかるような気がしないでもない。外国の女の人はどうか知らないけれど、(私も女をやらせてもらっているが)、サラッといかないところがあって、なにかこわい。友達としゃべっていたりしても、ほんのちょっとした言葉で、ギクッとなることもしばしばである。日本のお化けに足がないというのも、日本の“陰”の部分を反映しているかのごとく、不気味だ。そりゃあ、音もなく、白装束をまとった人が、どこか空の一点を虚ろな目で見つめて、自分のうしろに立っていた――なんて、スリリングでいいかもしれないけれど、そのお化けが自分に恨みをもっているとなれば話は別。日本の場合は、それがあるからこわいのかもしれない。恨み、静寂、そしてテレビの場合だと、音の効果!

 この三つがそろってあの迫力!すごいすごい。それに比べて、外国のお化けは一人の人をねらうのではなくて、無差別におそっているようだ。おそうといっても、どこか愛嬌があって、哀愁さえただよっている。足もちゃんと二本ついているところがいい。

 私は、今のところ幸いにも(?)本物の幽霊にお目にかかったことはないのだけれど、伝説的な怪奇話はよく耳にする。例えば、うちの家の近くの中学では、夜になると体育館からボールをつく音が聞こえてくるとか、夜になると木造校舎の階段が一段増える……など。

 いつの間にか話は深みにはまってしまったけれど、もうひとつ、春から夏にかけて現実問題として幽霊よりこわいものがある。毛虫だ。あー、この字をかくだけでゾッとする。五年前、大阪の堺からこちらに移ってくるとき、少なからず悪い予感がしたものだ。

 母「西宮はすっごく環境のいいところよ」

 私「え?どんな風に?」

 母「緑が町にあふれるほどだって」

 ギョッ。も、もしかしたら……緑って桜の木のことかな……。案の定、引っ越してきた四月は桜の花が満開であった。いやいや、花のついているうちはまだいい。花が散って、葉が繁りはじめたら要注意。悪いことに私の通っている高校は、桜並木を通らないと校門をくぐれないようになっているので、そういう意味で今はいちばん学校がいやな季節だ。それなのに、校門をくぐっても、いっぱい桜が植わっていて、休憩用のベンチが、なんと桜の木の下だけにあるのだ。そんなところで、ゆっくり休めるわけがないじゃない!

 毛虫も毛虫で、みんなをこわがらせようとしてあんなかっこうをしているとは思わないけれど、いきなり木からポトリと落ちてきたら、たまったもんじゃない。妹の話によると、

 「雨の降った次の日は、毛虫が足をふみ外して木から落ちる」

 そうで、いったいどの足をふみ外すのかは知らないけれど、毛虫もなかなか苦労していると思うと、ちょっと同情したくもなる。

 辞書によると、毛虫は“蟲”と書くそうだ。そういえば、虫がたくさんあつまって、うじゃうじゃ動いているようにも見える。

 全く、市では何をやっているんだ!はやいとこ、“毛虫対策委員会”でもつくって、もっと住みよい街にしてほしい。

 でも、いま毛虫がこわいと言っている私が、小学校のころは、かたつむりを腕にはわせて遊んでいたの、本当だと思えますか?

※1977年8月5日号掲載

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