【藤本さんちの“こくはく・こくはつ”】プロローグ 藤本義一さん一家が総出演でリレー随筆

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 新聞の1ページ目は、“顔”みたいなもの。その新聞のイメージを決めてしまいかねない。だから編集陣は、その趣向に苦心することになる。で、わが「アサヒファミリー」は創刊号に伊丹市在住の田辺聖子さん、第2号からは西宮市にお住まいの藤本義一さんと、指折りの売れっ子作家に相次いで登場していただくことになった。

 藤本さんは一家総出演のリレー随筆。文字通り家族的なふん囲気で告白したり告発したりと、毎週交代で折々の話題について筆をとる。題して「藤本さんちの“こくはく・こくはつ”――」

 メンバーは、お父さん(義一さん)お母さん(統紀子夫人)と二人のお嬢さん。「オレはいいとして、娘たちに六枚も七枚も書けるかなあ」と心配顔のお父さんに対して、姉娘の有子さん(高二)は「いけるんと違うかなあ」と屈託がない。妹の名子ちゃん(中二)はニコニコ笑っているだけ。彼女はかつて雑誌「面白半分」に連載したときも自分の書いた原稿はいつも絶対にみせずに直接ポストに入れてしまったらしい。今度もどんなものを書くのか両親には全くわからないのでハラハラ。そのぶん読者はお楽しみというわけだ。

 もともと藤本さん一家は、なにごとも親子で話しあい、考えあうというのが“家訓”。「だれが一番先に書くか」とお父さんがきりだす。「ひょっとしたら、私が一番手間どりそうやからねぇ」と、しりごみするお母さんに「ほな、ジャンケンで決めよう」と意見一致して始まったのがこの写真だ。

 毎回、イラストを担当してくれる成瀬国晴さんにこの話を伝えたら「いやぁ、藤本ファミリーとはよくおつき合いさせてもろてますから、その時の情景が目に浮かぶようですなあ」と大笑いした。

 ジャンケンの結果、有子さん(写真左端)、お父さん(右端)、名子ちゃん(左から二人目)、お母さんと順番も決まり、七月八日付の第2号から連載スタートということになった。「学校のテストを“こくはつ”してもええんやで。おまえはテスト無用論やろ」と、さり気なくお父さんがヒントを出すと「あ、そうやねえ」と素直な有子さん。

 藤本さんは「ニュースばかり追いかけている一般の日刊紙は、どうしても個性がなくなりがち。かといって政治色の強いのも困る。その点、西宮、宝塚、芦屋三市の人たちみんなの開放区というか楽しくラク書きできる黒板みたいな新聞としてアサヒファミリーのやり方は面白そうですな。地域の住民一人ひとりの読者がみんな編集長だという親しみをもって接してほしい。ただし、そういう新聞には、利用しようとかかってくる人が必ず出てくるから、そういうのは見分けてピシャッと断るプライドや見識が必要ですね。家族的なふん囲気があって、しかも他人が見ても楽しい、そんな家族版8ミリの傑作集みたいな新聞になったらいいですね」と参加に乗り気十分。

 イラスト担当の成瀬さんも「尊敬する藤本さんのお宅に居候になったつもりで、楽しくおつき合いさせてもらいますよ。四月に宝塚市へ引っ越してきたばかりの“新人”ですが、そのうち三市をゆっくり見て回って、ボクなりに紙面参加させてもらう機会もあるといいですね」と意欲的だった。

※次女の名子さんは、フジモト芽子さんのことです

※1977年6月宣伝版掲載

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