【藤本さんちの“こくはく・こくはつ”】Vol.1 「無断転載」ばなし(長女 有子さんの巻)

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 藤本さんちは西宮市甲東園の一角。学校のこと、社会のこと、そして世界のことについても、みんながいっしょに話しあい、考えあう愉快なファミリーです。

 お父さんの義一さんは直木賞作家、お母さんの統紀子さんは雑誌、放送でパーソナリティとして活躍中、そして二人のお嬢さん、有子さん(兵庫県立西宮高二年)名子さん(甲陵中学二年)も、すでに紀行文や随想を発表ずみ。そんな親子四人が交代で、身近なできごとや世相のあれこれを、こくはつ(告発)したり、ときにはわが身をふり返ってこくはく(告白)したり……というシリーズです。三市の読者に耳慣れた話題が、この欄から飛び出してくることでしょう。

 ジャンケンで決めた執筆順に従って、一番打者は長女の有子さん。両親にも見せずに、直接編集部へ原稿を届けてくれました。 

 


 

 トップというのはつらい。ジャンケンで負けてしまったから文句は言えないが、書こうと思っても題材が山ほどありすぎて、逆に目ぼしいのがなかなか見つからない。だんだん締切は近づいてくるし、キョーフの期末テストも間近だし、父上は年中こんな状態でいるのかと思うと気が狂いそうになったりする。あまりくだらないことばかり書いて原稿料をもらうのも何だし……。

 と、そのとき背後から母上の声――。

 「ねえ。これ見た?おもしろいのが載ってるよ」。 え?「文芸家協会ニュース」?

 どんな縁があるのか知らないけれど、一応ピラピラながめていると、久しく忘れかけていた半年ほど前のあの事件を思い出した。

 それは一月十日のこと。この日はまだ冬休みも明けて二日目だというのに、私の通っている高校では「県下一斉実力考査」などという生徒泣かせのテストが実施された。国数英の三科目で一時間目は国語。もともと長文読解は大の苦手なのだが、最初から現代文解釈の問題が出されていた。見ただけでいやになってしまい、二番目の問題を先にやろうとすると、これが筒井康隆さんの評論だった。筒井さんの本は以前にも何冊か読んだことがあったし、そのテスト問題も一つめのがやたらと難解な文章だったのに比べて、わかりやすくておもしろい、エッセイ風な文章だったと記憶している。

 その夜、このことを思い出して父上に言ったところ、

 「筒井さんは、自分の書いたものがテストに使われていることを知っているのか」

ということになった。近頃では、“無断転載”というのがはびこっているらしく、そうなると、いろいろ困ったことがでてくるそうだ。

 「教育目的として引用される場合、文句はいえない。しかたのないことでしょう」

 私から父上へ、父上から筒井さんへと話は伝わり、筒井さんが著作権保護同盟に問い合わせたときの結論である。これに対して筒井さんは、

 「県からは一言のことわりもなく、しばらくは、すっきりしない気分であった」

と言われている。ただ転載されただけではなくて、百余りもの改竄(かいざん)があったそうなのだ。例えば、最初の部分の引用――

 「特にことばで教えなくても、いつも決まった時間に聞えてくる声音、たとえば朝の『トーフ』だとか、『アサリー』だとかの物売りの声などは、すぐに真似をする。夜であれば“アナタ。モウネマショウヨ。”――あ、これは失礼。つい筆がすべった」

 これは筒井さんの「私説博物誌」という作品の中の「キュウカンチョウ」の一部なのだが、「夜であれば……」というところが省かれていた。しかし筒井さんは、この部分を“最もぼくらしさのでた部分”であると、いくぶんユーモアを交えて言われている。

 確かにテスト問題ともなると、この部分は良くないかもしれないが、サラッと書いてあって、いやらしさがないと思う。逆に省いた人の方が考えすぎのような感じもする。一つのユーモアとしてさしつかえない文ではないだろうか。一つのことにこだわってしまったけれども、自分の創造した世界に他人が許可も得ずに踏みこんでもよいものだろうか……なーんていっちょ前の口をきいちゃったけれど、私のいいだしたことが、こんなになるとはね!加害者か被害者かわかんないけど。

 ところで、私は国語、とりわけ現代国語はあまり得意ではない。(ときどき、隣のおじさんの子ではないかと思うほどに)。前にも書いたように、長文がでたら最後である。問題文より先に設問を読んで、それに関係するところしか読まないからだ。教科書にも変にひねった単語がたくさんある評論が載っている。

 「へえ、これ書いた人、自分で意味わかって書いてんのかなあ」

 「わかってるんやったら、もっとわかりやすい言葉で書いたらいいやんかねえ」

 わが家の夕食のとき、そういう話題になると、サンザンである。いくら読んでもおもしろくないものはおもしろない。詩を読むにしても、パッと読んでいいな、と思ったら、それでいいと思う。詩をつくった人も、一行一行バラバラにして細かいところまで読みとってほしいなんて考えている人はまず、いないんじゃないか。いくら教材とはいえ、細かく分ける必要がどこにあるだろう。

 と、まぁ、つれづれなるままに書いたわけだけれど、そろそろ種が尽きてきた。えーと、そろそろ、父上がさっき言ってたことを思い出したので、もう少しだけ。

 例のことがあった後、父上が新宿でばったり筒井さんにあって、一緒に飲みにいったとき、筒井さんは、案の定、よろこんでええのか悲しんでええのかわからんとおっしゃっていたということです。

※1977年7月8日号掲載

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