認知症事故裁判の最高裁判決からわかる「安心して介護するために必要なこと」とは?~「尼崎発 認知症革命!」イベントリポート①~

【「尼崎発 認知症革命!」初日イベントリポート①】

 5月11日に尼崎市商工会議所で行われた「尼崎発 認知症革命!」と銘打ったセミナーイベントの内容を2回にわたって報告する(主催:医療法人社団 裕和会 長尾クリニック)。在宅や施設で介護を担う家族や介護職の人たちに、勇気と希望を与える貴重な講演だった。

 

 開会にあたり、主催者を代表して長尾和宏院長が「今日は全国から来場いただき、大変ありがたい。尼崎市は全国1600余りの自治体の中で、がん死が一番多い。兵庫県内においてはメタボ発症率も高く、認知症の有病率も高いと思われる。地域で在宅医療を進める立場から、年1回『生と死を考えるシンポジウム』を行ってきたが、今回20回の節目にあたり、特別なセミナーを企画した。しっかり聴いて元気をもらいたい」とあいさつした。

 

高井隆一さん講演会「JR東海 認知症事故裁判の大きな成果とは」

 

講演する高井隆一さん

 最初のセミナーでは、2007年に愛知県のJR東海道本線の駅で認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した事故をめぐり、JR東海が家族(遺族)に損害賠償を求めた裁判で当事者となった男性の長男・高井隆一さんが、父の介護の状況や最高裁判決がもたらしたものについて語った。報道で匿名を貫いていた高井さんは16年3月の逆転勝訴判決の3カ月後、京都で「認知症の人と家族の会」の招きで講演して以降、氏名を公表し始めた。 

 

 「事故当時、私は東京で仕事をしており、動転した妻からの要領を得ない一報で駆け付けた。父は家族が少しまどろんだ間に外出し、自宅の最寄り駅の隣駅のホームの端にある施錠されていない階段扉を開けて線路に降り立っていたところ、事故に遭った。現場の状況からも、父は恐らくトイレを探していたのだろうと推測される。だがなぜ、所持金もないのに改札口を通って電車に乗り、隣駅に行けたのかは、今もってわからない」

 

 

■事故当日まで家族総動員で認知症の父を介護してきた

 

 高井さんの父が認知症を発症したのは母と二人暮らしていた2000年末、84歳の時だった。1年数カ月後から妻が介護に参加、高井さん本人も週末応援に入る家族総動員体制が始まった。その年の夏、父が骨折。入院を機に症状が急激に進んだ。退院直後は要介護度1だったが、2カ月で要介護度2に。その時は専門医を指定して受診したが、2年後の04年2月、近所のかかりつけの内科医に転医した。

 父の一人歩きが始まった当初、家族は戸惑った。行かないよう説得したり、警察に相談したり、睡眠薬やGPSを使ったり……。家を施錠したこともあったが、父は「監禁された」と怒り、大失敗に終わったという。試行錯誤を経て家族は、父の症状が近隣に広まることも仕方ないと割り切り、自由に行動させることを決めた。

 「父の外出願望は不安の表れだったと思う。よく『ここはどこだ?』と聞いていた」

 認知症の中核症状の一つに見当識障害がある。時間や季節、今いる場所、人がわからなくなるといった障害のことだ。わからないことは人を不安にさせる。おぼろげな記憶を頼りに慣れ親しんだ場所に帰ろうと、かつて実家があった場所や勤めていた職場などへ行こうと歩き出したものの、道中の景色も道も記憶の中のものからは変わってしまっている。そこで混乱し、さらに不安になり、立ち止まってしまう……。

 「万一に備えて衣服やくつに名前と連絡先を記入したが、本人は嫌がらなかった。妻はできる時はいつも、外出する父の後を気づかれないようについていき、途方に暮れたように立ち止まったら、偶然を装って声を掛けた。一人で出かけた父が帰らなかったことは、事故の日まで一度もなかった」

 年末に事故が起こった07年2月の要介護度は4。家族の介護生活は足掛け7年に及んでいた。「事故直後から妻は『ちょっと目を離した時に……』とひどく自分を責めていた。半年後、JR東海から配達記録付封書で請求書が届き、妻の苦しみはさらに深まった」

 

■賠償請求で鉄道会社が提訴、一審と二審の判決は?

 

 JR東海からの請求書が届いたのが08年5月。翌月、求めに応じて高井さんが提出した父の診断書に対する回答は12月、配達証明付き内容証明郵便で届いた。

 「死亡して半年後の日付の、専門医ではなく内科医の診断書は信用できない」と、約720万円の損害賠償金の全額支払い請求と14日以内に支払わなければ提訴するという内容だった。そして10年2月、JR東海は法定相続人全員(5人)を相手取り提訴した。

 

 13年7月、一審の名古屋地裁判決は、法定相続人のうち母と高井さんの2人に全額支払いを命じる全面敗訴だった。高井さんは「このような判決を導き出した論理が堂々と通れば、家族は認知症の人を閉じ込めておくしかなくなる。介護に携われば携わるほど何らかの被害が生じた場合、携わった人が責任を負わされることになる。この判例を前例として残すわけにはいかない」と、ただちに控訴を決断した。

 ほとんど報道されなかった一審判決後、問題意識を持ったメディアの取材と報道が増え、「認知症の人と家族の会」が見解を公表し、厚労省OBが意見書を作成するなど、多数の“援軍”が現れてきた。14年4月の名古屋高裁の控訴審判決は、高井さんの責任を問わず、母だけに2分の1の約360万円の賠償責任を認めるものだった。法曹界からは「知恵を絞った良い判決」という論評が出たが、高井さんの思いは複雑だった。なぜなら「介護に携わった人が責任を問われる」枠組み自体は揺らいでいないからだ。上告すべきかどうか結論を出せないままにいた5月、JR東海が先に上告し、裁判の舞台は最高裁に移った。

 

■逆転勝訴の最高裁判決で「安心して介護できる環境が整った」

 

 16年3月の最高裁判決は、一審と二審を覆す逆転勝訴となった。最高裁は「家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべき」との判断を示し、その上で「今回は家族に賠償責任はない」と結論づけた。裁判官5人全員一致の判断だった。

 高井さんは「明治以来、民法は被害者救済を第一に据え、第三者に被害を与えれば、被害を与えた側の責任が問われるのが当然とされてきた。今回の最高裁の判断は、その流れを変える画期的なもの。民法上の監督責任を劇的に変え、基本的に地域で安心して介護できる法的な環境が整ったと思う」と話した。

講演後には長尾院長との対談もあった

 そして、最高裁がこの判断を導き出す過程で、もう一つ別の監督責任を問う裁判が進行していたことを紹介した。それは15年4月に最高裁判決が出た愛媛県のサッカーボールによる事故の裁判だ。04年、学校の校庭でフリーキックの練習をしていた小6男児(当時11歳)が蹴ったボールが道路に飛び出し、バイクに乗っていた80代男性がボールをよけようとして転倒。療養中に認知症を発症し、約1年半後に肺炎で死亡した。後日、男性の遺族は少年の両親に対して監督義務違反を理由に損害賠償請求を起こした。

 最高裁は、両親に賠償を命じた二審の高裁判決を破棄し、遺族側の請求を棄却。「通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によって、たまたま人身に損害を生じさせた場合は、当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない」との判断を示した。

 高井さんは「予見不可能という点が、父の事故と通じるのではないかと思う。事故後に少年と両親は男性を見舞い交流もあったというが、どのような経緯で提訴に至ったものか……。サッカーの練習という子どもにとって当たり前のことをしていて事故を起こしてしまった少年と両親の10年の日々を思うと言葉もない」と話した。

 

■最高裁判決後の新しい動き

この4月、高井さんは父の介護と裁判の経験をまとめた著書「認知症鉄道事故裁判 閉じ込めなければ、罪ですか?」をブックマン社から出版した。裁判を支えた”援軍”10人の寄稿も載っている

 最後に高井さんは「多くの皆さんが『こんなことでは在宅介護はやっていけない』と上げてくれた声が、最高裁の逆転判決を導き出してくれた」と感謝する一方で、裁判報道を通じて違和感を持った「徘徊」という言葉の使い方について指摘した。

 「言葉の意味は『無目的に、むやみやたらに歩き回る行為』で、目的があって歩いている認知症の人にはふさわしくないと思う。最近になって見直す機運も出てきているが、言葉狩りではなく、適切な言葉かどうか意識して使ってほしい」

 また、実損が出ているのに損害賠償請求が宙に浮いた形になった被害者の救済については「最高裁判決を受けて関係省庁で検討されたが、新たな救済策は不用との結論が出た。その後、市町村ごとに個別の救済策が検討されており、新たな保険の導入を考えているところと、神戸市のように給付金で見舞金を出そうというところもある」と紹介した。

 

 

<講演を聞いて>

 高井さんの講演を聞いて、被害と加害の関係は一方の立場から考えるだけでは解けない難しい問題だと改めて思った。最高裁の判断で「家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべき」とされたことを踏まえれば、いま認知症の人を介護している人たちにとっては「生活記録」を残すことの重要性がクローズアップされたといえる。

 高井さんは当日のレジュメで「記録の重要性」を挙げた。5W1Hの簡潔な介護日記や、どんな外出防止策を取ってその結果がどうだったかなどの記録は、万一事故や裁判に巻き込まれた時には非常に重要な“証拠”となるそうだ。認知症が他人事ではない時代だからこそ、このような知識を多くの人が当たり前に持ち、生かしていける社会をつくっていきたいと思う。(大田季子)




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