半世紀に及んだ奈良・川上村の大滝ダム建設をめぐる人々の声を今夏、本にまとめた浅野詠子さん

 20年余りに及ぶ奈良新聞記者を経て2008年にフリージャーナリストとなった浅野詠子さん(奈良市在住)が今夏、5冊目となる著書を出版した。書名は「ダムと民の五十年抗争~紀ノ川源流村取材記」。奈良県吉野郡川上村に2013年に完成した大滝ダムをめぐり、住民らに取材した記録をまとめた本だ。

「ダム建設や土木工事などの専門知識がなかったので、資料を読み解くのに苦労しました。住民に協力して手弁当で土壌を調査・研究した専門家がいらしたことも取材する中で初めて知りました」と浅野詠子さん

 

 大滝ダムは1959年の伊勢湾台風による紀ノ川の大水害を機に、翌60年から構想され、62年に計画が正式に発表された。高度経済成長期以降の日本で、数多く計画されたダムの中でも「東の八ツ場(やんば)、西の大滝」と並び称されるほど住民の反対も強く、完成まで半世紀に及ぶ歳月を要した巨大公共事業だった。当初230億円とされた総事業費は約16倍の3,640億円に上ったという。

 

 紀ノ川は紀伊山地の大台ケ原を水源とし、奈良県から和歌山県を流れ、紀伊水道にそそぐ一級河川で、奈良県内では吉野川と呼ばれている。

 浅野さんは駆け出しの記者だった86年から5年間、吉野郡東部の9カ町村を担当した。大滝ダムができる川上村もその中にあった。吉野川沿いにくねくね走る国道169号を、最初の2年間はオフロードバイクで、その後は「雨の多さに観念して」車で駆け回りながら取材に追われる日々だったという。

「その当時はまだ、ダムなんかどこに建つの?といった感じで、のどかな山村でした」

 

 水没する国道が山上に付け替えられ、壁のようなダムの躯体が姿を現したのは2001年ごろ。担当からは外れていたが、試験貯水中の2003年に川上村白屋地区に亀裂が発見され、大きなニュースになったことを覚えていた。古くからこの地に住んできた37世帯が移転を余儀なくされることになった。

 

 2014年秋に川上村を訪れた浅野さんは、「官製の記録には出てこない人々の声を拾って、山村史の空白を埋めたい」と考えるようになったという。

 それから2年半の間に、村民、元村民、研究者らいろいろな立場の人に会って話を聞いた。関係者の中には他界している人も多かった。せっかく会えても口をつぐんでしまう人もいた。それでも浅野さんは「100人に会えば、本は書ける」と、できる限りの人に会いに行った。正確に数えたことはないが、「80人ぐらいにはなったでしょうか」。

 

 昨年2月に会った横谷好則さんは、白屋地区の亀裂によって自宅を村内に移転した村民の一人だ。当時44歳で村役場に勤めていた彼が、当時のことを朝日新聞「声」欄に投書し「地面のひびが心の亀裂招く」と掲載されたと紙面を示して教えられた。

「公務員の立場で、実名で発言された勇気に感動しました。今も村内で暮らす横谷さんは、これまでの歩みを書き残して、子どもたちに伝えたいとおっしゃっていました」

 

 聞き書きだけではなく、膨れ上がった事業費の中身を洗い出したいと、行政に入札や随意契約の情報開示を請求したが、それらの書類の保存期間は10年ほどがほとんどで、すでに廃棄されてしまっていた。

 

 著書の中には元村民の「ダムさえなければ、村民同士のいがみあいなんかなかった。(略)いやなことは胸にしまって静かに暮らしてんのよ。何も言いたくないんよ。ところであんた、こんなこと本に書いてどうすんの。やめてほしい」という言葉も紹介されているが、粘り強い取材を進めていった浅野さんは、取材を進める中で出会った、川上村にあるもう一つのダムの記録「大迫ダム誌」(1983年)に寄せられた、住川逸郎元村長(故人)の思いを引き継いでいるかのようだ。

 公選後の1957年から68年まで村長を務めた住川氏は「当時の川上村の人びとが、いかに大迫ダムと取組んだか、もっと中身の豊かな人間を描いた記録を後世に残してほしい」と書き残していた。

 

 人々の交錯する思いを行きつ戻りつしながら、それでも丁寧に拾い上げた労作を出版後、関東のある書店が地方自治の棚に並べていてくれていると知った。「通常、このようなテーマの本は、河川工学や環境などの棚に置かれることが多いのですが、内容を知ったうえで並べてくださったのだと、うれしくなりました」

 

 四六判上製241ページ。風媒社刊。定価1,944円。




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