ピアノの旋律が彩る、青春の蹉跌を詩的な映像で描く「にしきたショパン」~竹本祥乃監督にロングインタビュー~

「にしきたショパン」のチラシ

3月20日に公開された竹本祥乃(よしの)監督作品「にしきたショパン」が快調だ。西宮北口周辺を舞台にピアニストを目指す若い男女を描く作品で、ミラノ国際映画祭外国語映画部門最優秀長編作品賞などを続々受賞。阪急「売布神社」駅前のシネ・ピピアでは4月30日(金)から3週間のアンコール上映が決定した(ただし、緊急事態宣言発令のため終映が20時を回る5月7~13日は休映)。さらに5月14日(金)からはOSシネマズ神戸ハーバーランドでも公開が予定されている。大手シネコンで自主製作映画が上映されることは珍しく、快挙といえる。平日は研究技術者として働きながら「週末監督」として映画を撮り続けてきた竹本監督に話を聞いた。

*上映情報は4月26日現在。詳しくは各映画館のWEBサイトでご確認ください。

 

大阪生まれ、神戸在住の竹本祥乃監督=4月20日、神戸市内で

【竹本祥乃監督ロングインタビュー】

――全編ピアノの旋律に満たされ、まるで演奏会を聴いているような心地よい作品でした。ドラマは青春の挫折でちょっと痛い感じ。どんな反響が届いていますか?

お陰様で元町映画館やシネ・ピピアでは連日ほぼ満席となり、感動したという声がたくさん届いています。リピーターさんが結構多く、何回か見た、もう一回見たいという話もよく聞きます。見るたびに印象も変わる、発見がある、と。実はそれ、かなり意識していて、カット割などにもいろいろな仕掛けをしているので、一度見た人も、ぜひもう一度見てほしいですね。ピアノ関係者は鍵太郎と凛子の境遇に、みんな思うところがあるようです。

――震災によって進路を閉ざされた鍵太郎の境遇は本当に気の毒でした。

確かに彼は、ひねくれても仕方がないような目に遭っています。一方の凛子も、うまくいったと思ったらダメになって。二人を対比させながら物語を進めています。鍵太郎には、ひねくれたままだったら人生もったいない、そこに気づいてほしい。この二人がこれからどうなっていくのかは、見終わった後でそれぞれに考えていただければと思います。

――余韻が残る映画ですよね。この作品を作るきっかけは?

2018年5月にカンヌ国際映画祭で上映した短編作品「Arcadia(アルカディア)」の撮影場所にさせていただいた仁川のカフェ「Hassel House(ハッセルハウス)」で、今回「にしきたショパン」でプロデューサーになっていただいた近藤修平さんと知り合いました。そこは近藤さんのお母さんのお店です。

「Arcadia」も音楽がキーになっている短編で、チェロが出てきます。カンヌで上映したと言ってもコンペティションではなく、短編映画をたくさん上映する見本市みたいなコーナーに出品したのですが、自分も音楽をされていた近藤さんが、その作品をすごく気に入ってくださった。映画の目指す方向や好みも一致していたので「次回作を一緒にやりましょう」という話になりました。最初に決めたのは、上質な、映画らしい映画を作ろう。奇をてらわず、地元の人が好きになるような映画を作ろうということでした。

お話しする中で近藤さんに「僕、こんなの書いたんだよね」と「マスター先生」の本を見せられ、読んでもいないのに「これ、映画にしてみませんか」と言ってしまいました。乗り気になって「やろうか」となったものの、その本は2011年の震災復興支援作品を集める企画で選ばれ、その後文庫本化されたエッセー的な短編小説だったので、内容は映画になりづらい。結局は震災の設定と登場人物の名前を生かして、全く違う話になりました。近藤さんと、脚本に入っていただいた北村紗代子さんと3人で何度もプロットを書き直し、約1年後にやっと「これで脚本にしましょう」というものができました。話がポンポン飛んで、ネタがちりばめられている中で、北村さんのお陰で、すごくまとまりました。

――撮影はいつから始めたのですか?

2019年GWの頃に前半を5日間ぐらいで撮影、あと9月の週末にかけてとびとびで撮りました。勤め先は「本業に差し支えなければお好きにどうぞ」という感じなので、有給休暇も上手に使って。研究技術者という仕事は、研究者が仮説を立てたものを、実験してデータを取る仕事。映画で言えば助監督の仕事ですね。

タチアナ先生役で映画初出演のルナ・ジャネッティさんがロンドン映画祭最優秀助演女優賞にノミネートされている。「映画初主演の素人がいきなりノミネートされるのは、なかなか難しいことです。<絵になる>というのは大事な要素で、映えてたということですね」と竹本監督

「にしきたショパン」は初の長編映画で、資金集めには苦労しました。まずは前半を撮って、撮りつつ集めようと。初めてプロデューサーの仕事をする近藤さんに、資金集めから広報まで身を削っていただきました。今までの人生の積み重ねの人脈や経験、音楽をされていたこと、サラリーマンで培った人をまとめる手腕などを発揮していただけました。

できるだけ安く仕上げようと衣装も監督と役者の衣装を使い、買う時はメルカリを使ったりして。通常スタッフが管理することも私がやって。編集も外注すると高くなるので、私が。そんなふうに削って削って作りましたが、クラウドファンディングで集まった約500万円の範囲内には収まっていないので、プロデューサーが負担しています。

――そもそも竹本監督が映画を撮ろうと思ったきっかけは?

子どものころ本当は漫画家になりたかった。たくさん描いて投稿しましたが、なれなくて社会人になりました。その間も映画が好きというベースはずっとあってよく見ていました。社会人になって数年してから突然創作意欲というか、映画を撮りたくなった。多分フラストレーションの現れだったのではないかと思っています。

――どんな映画が好きだったのですか?

珍しいけれど素敵な映画を探すのが好きでした。例えば、1965年のフランス映画「悲しみの天使」というモノクロ映画。ある評論を読んで映画を見たくなったのに、どこにもない。当時は映像配信システムがまだなかったので、探し回って東京まで買いに行きました。

――すごい情熱ですね。でも映画って撮ろうと思って、すぐ撮れるものではないのでは?

確かに初めて映画を撮ろうと思っても何もつてがなかった。けれども自主映画を作っている人はたくさんいるので、まずはネットで調べて、映画を作るスタッフを募集しているところに参加しました。京都の大学生サークルが作っていた映画にちょい役で出たんです。多分2004年か05年ごろ。その時に、スタッフの動きをすごく観察して仕組みを大体覚えたと思った。けれどもいざスタッフを集めて自分がやってみたら大変で、うまくできない。2007年に撮った1回目の映画ではイレギュラーなことに全く対応できませんでした。参加させてもらった映画の監督さんはよくできた人だったから、うまく人を回していたんだと気づきました。作るたびにダメなところを改善していって、20本ぐらいの短編を作りました。作ったらその都度、映画祭に出して、賞を取ることを積み重ねていました。

そんなことをやりながら「いつか長編を撮ることができたらいいな」と思っていました。でも、映画祭でいくら賞を取ったとしても、なかなか広がらない。東京に住んでいないからダメなんじゃないかと本気で研究技術者としての転職を試みましたが、いつも最終面接で落ちる。途中で、これはもう無理だなと思い始めていた時に2度目のカンヌに行って目からウロコが落ちました。最初に話した「Arcadia」を上映した2018年です。

海外から見たら日本なんて、東京だろうが関西だろうが大差はない。人が多い東京は、アーティストもいっぱいいて目立たない。女性で、地方で、特徴のある方が覚えてもらえるのではないか。東京のYoshinoよりも神戸のYoshinoの方がブランディング的にもいいじゃないか、と。みんなと同じことをしてもダメだなというのは常々感じていたんですが、そういうタイミングで、この映画を作るきっかけに出会ったのです。

――いろいろ考えながら10年以上のキャリアを積み重ねてこられたのですね。

映画を続けてきた理由に「父に認めてほしかった」という思いがあったと後から気づきました。すごく厳しい父親で、ほめてもらったことがない。姉と兄はちゃんと認めているのに、私だけ大人扱いしなかった。年が離れて生まれた末っ子なので、孫みたいな感じだったのかもしれません。受賞しても「カメラマンが撮ってるだけだろう?」って。たまにはほめろ、と思いました。そのモヤモヤが作品に投影されています。

父が亡くなって7年ほど経つのですが、この映画を作ることで自分を見つめる機会を持つことができて、時間をかけてですが、父に対する承認欲求を昇華させることができた気がします。外に承認を求めても満たされない。そのことに気づいて欲を捨て、自分で自分を認められるようになったとたんに、いっぱい賞を取れるようになりました。

高校時代の凛子(水田汐音)と鍵太郎(中村拳司)。幼馴染で仲良しだった2人の運命が阪神淡路大震災をきっかけに激変する

――竹本監督もピアノをされていたのですか?

小学校1年から中学3年まで習っていて、大人になってからチェロをやっていました。ピアノはやっていた時は好きではなかった。とにかくしんどい。楽器の中で一番しんどいのではないかとまで思いましたが、ショパンとバッハだけは楽しめた。そういう意味では、ピアノの素養は一応あった、ということになります。

――映画を撮る時に大切にしていることは?

空気感ですね。独特の「間」というか。言葉に頼らないで伝えることを意識しています。「にしきたショパン」は結構セリフがありますが、いかにしゃべらずに伝えるかをいつも考えています。

映像には情報がいっぱい入っています。国際映画祭に出品する時はもちろん英語字幕を付けて出すんですが、2014年に初めてカンヌに行って、いっぱい短編映画を見た時に衝撃を受けたのが、何が心を打つのか、どういう映画が選ばれるのかがわかったことです。英語字幕はありますが、全員がネイティブではないから、正確に意味をわかっているのかはわからない。私も必死で字幕を読んでいましたが、そこまでセリフに頼らなくても、笑った、怒った、別れたとかがわかればいいと。役者の感情表現だけでも理解できる。

つまり、基本、絵で見せる。いちいち言葉で説明しない。頭にこびりつくような絵を見せる。見たら忘れられない。テーマも斬新。普通のテーマでも切り口は斬新。とにかくすごく工夫を凝らして、ただのドラマを作らないことが大事だと。

ポーランド留学から帰国した凛子は思いがけない形で鍵太郎と再会する

――だから映像が詩的なのですね。映画はちょうど90分。まるでコンサートの時間です。

終始ピアノが鳴っていますからね。意識したわけではありませんが、人が集中力を保つには120分はきつい、相当すごくないと。

――上質なコンサートに行った気分になりました。映画のタイトルはどうやって決めたのですか?

実は未完成映画祭予告編大賞という長編映画を募集する企画があって、1位を取ると数千万円の予算が下りて映画が撮れるというもので、その条件がご当地映画でした。その時に出した企画が「にしきたショパン」でしたが落選しました。つまり、全く別の企画の名前だったのですが、タイトルを決めかねていた時にふと思い出して話したら、全員が「それ、いいね!」と。

――宝塚でのアンコール上映や神戸ハーバーランドで大手シネコンでの上映も決まりましたね。

うれしいです。実は昨年2月には映画は完成して試写会も終わり、震災から25年となる2020年公開の予定でした。そこから新型コロナが広がって上映交渉はストップ。プロデューサーに任せていたので私はあまり知らないのですが、昨年の秋から映画祭の受賞結果がいろいろ出てきて、映画館との交渉が再スタート。今年3月の公開が決まったのです。

近藤プロデューサーは最初から「2020年に還暦を迎えるので、国際映画祭で受賞してレッドカーペットを監督と歩きたい」と公言していたのですが、のびのびで。また、せっかく賞を取っても表彰式で現地に行けずZOOMだったり。私としては「歩かせてあげたい」という気持ちはものすごくあるんですが。「来年かねえ」と言っています。

5月には「にしきたショパン」のピアノ音楽のCDも発売され、関連イベントも予定しています。また、ファンの人たちが自発的に「にしきたショパン」撮影地巡りなどもされていますので、これからも盛り上がってくれたらいいなと思っています。プロデューサーの願いは、西宮が舞台なので、西宮ガーデンズでの上映をかなえたいということ。私も同じ思いでいます。

――ありがとうございました。かなうといいですね。

「にしきたショパン」公式WEBサイト https://office-hassel.com/n-chopin/

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