この時期になぜオーケストラの音楽を発信するのか? HPAC 佐渡裕芸術監督・広響 下野竜也音楽総監督大いに語る

【PACファンレポート番外編】

7月4日から本格スタートした兵庫県立芸術文化センターの「心の広場プロジェクト」に先立ち6月19日、KOBELCO大ホールから佐渡裕芸術監督と6月の定期演奏会で指揮する予定だった下野竜也広島交響楽団音楽総監督のディスカッションとデモ演奏がライブ配信された=アーカイブ映像はYouTubeで視聴可(動画開始は7分ごろから)。

ディスカッションには6月定演でソリストを務める予定だったヴァイオリニスト川久保賜紀もオンラインで参加。再開に向けたセンターと楽団、広響の取り組みや演奏会ができなかった間の思いを語り合った。

演奏ではベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲とコンサートマスター豊嶋泰嗣をソリストにした「ロマンス第2番」を下野が、「コリオラン」序曲を佐渡芸術監督が指揮した。ソーシャルディスタンスを保つため、オーケストラは配置を大きく変更。弦・打楽器は奏者間の距離を1・5㍍、管楽器は2㍍離しアクリル板のパーテーションを配置しての演奏となった。取材に出かけて久しぶりにPACの生演奏を聴いた私は感無量。演奏後に客席に向かって頭を下げた佐渡さんの目にも、確かに光るものがあった。

自分たちの劇場、兵庫から発信したい――佐渡裕

終演後の囲み取材で、佐渡芸術監督は拠点である兵庫県立芸術文化センターから音楽を発信していく思いを次のように語った。

兵庫県立芸術文化センター  佐渡裕芸術監督

「本来心の広場であるべき劇場を閉めている間に、自分たちの劇場、自分たちのスタッフがいることの意味を改めて感じた。心の広場であるべき劇場が全く灯を消してしまうのではなく、そうした時でも皆さんのことを思っているということを様々な形で発信したかった。そのためにスタッフやPACメンバーがいろいろなアイデアを出してくれました。本当に感謝している。

緊急事態宣言は解除されたが、劇場もオーケストラもコロナ禍の中でやっていかなくてはならない。感染予防のために守らなければならないことは多く、ソーシャルディスタンスは、お客さん、舞台上だけでなく楽屋裏でも同じ。自分たちの劇場だからこそ、自分たちで守らなければなりません。

準備や予算を考えたら、この時期に劇場を開けることは難しく大変なことだが、こういう状況だから何もしないで止まっていようとは僕らは思わない。

最初は僕も緊急事態の状態で音楽をやるべきではないと思いました。今もどこかにゲストで呼ばれて指揮をしようとは思わない。でも兵庫は自分が芸術監督をしているオーケストラと劇場です。夏のオペラの前夜祭では地元の人たちと盆踊りも踊る。この劇場の前を通るだけで『前にこの劇場の演奏会に行ったな』『ここでスターを見たな』と思う人もいてくれる。どんな時も音楽や舞台芸術は人を励ましたり癒やしたりする心のビタミンです。

ウィーンの楽友協会は6月から演奏会を始めました。お客さんは100人限定なので、チケットは売らないで関係者だけです。ニューヨークの大きなオペラハウスは今年いっぱい演奏会をしないそうです。僕たちはこういう時だからこそ発信したい。いま僕らが許される範囲、感染予防を大前提に据えて、劇場から何かを発信すべきだと、僕は思います」

何よりも次の世代に伝えていくために――下野竜也

広島交響楽団 下野竜也音楽総監督

広島交響楽団の下野竜也音楽総監督は、言葉を選びながら次のように続けた。

「オーケストラは平常時でも潤沢に儲かっているわけではなく、定期演奏会を打つごとに赤字になる状況は変わりません。そういう面ではオーケストラは非生産的な団体といえます。公的な助成金をいただいていることも非常に感謝しています。日本でオーケストラ連盟に所属している33団体はどのオーケストラも寄付をお願いしており、市民やファンの皆様に支えられています。

そんなオーケストラを何故やらなければならないか。演奏できない時間が続いた間にいろいろと考えました。私は今年51歳、指揮者のキャリアとしてはやっとスタートに立ったところですけれども、もしも『もういいよ、お前もう指揮できないよ』と言われたら、僕はもういいです。一番つらいのは、音楽家になりたい、指揮者になりたいと思っている20代前後の学生や子どもたちができなくなることです。

広島交響楽団は約60年前、戦後の荒廃の中から生まれ、給料がやっと出るかでないかのところでやってこられた先輩方がいる。それを手放すことはできません。ニュースを見ると長年やって来た老舗のレストランがコロナ禍で閉店する、倒産するところも職を失う人もいる。その中で音楽か。富裕層のし好品だろ? そういう意見があることも承知しています。けれど音楽家は誰も自分たちは特権階級だと思っている人は絶対にいません。いるわけがないんです。

お前たち好きなことしているんだから、それでいいだろ。もちろんです。好きなことをやらせていただいています。そういうことよりも何よりも、次の世代につなげるために、いくら傷を負おうがオーケストラは残していかなければならない。250年前のベートーヴェンの音楽も、オーケストラがつないできたからこそ残っています。

その時、じゃあ残してあげよう、その代わりお前はもう指揮できないよと言われたら、それは受けようと思います。次の世代に残すためには、どれだけ頭を下げても、どれだけお願いしても、オーケストラを援助していただいて活動が最低限できるようにするものを集めさせていただいて、何とか存続させていく。オーケストラだけでなく、オペラもバレエもお芝居も演劇も、すべての文化芸術が同じことだと思いますが。

あまり言及されていませんが、フリーランスのスタッフや大学出たての人たちの場所がなくなってきています。どの業種もそうだと思いますが、そういう状況だということはわかりつつ、この状況を何とか生き延びて次の世代に残していかなければならない。

自分がもう一度、ブルックナーの9番を振りたいなとは思いますよ。ですが今、やりたいと思っている音楽を全くできていない人たちが多いわけです。今自分が教えている京都市立芸術大学の指揮科の学生たち、指揮者を目指し、OBの佐渡先輩のようになりたいと思って入ってくる子たちがいるわけですよ。

やればやるほど赤字になるかもしれないけれども、私たちはそういうものを受け継いできたわけです。しかもヨーロッパで生まれた西洋音楽を日本で。多少きれいごとに聞こえるかもしれませんが、偽りのない気持ちです」

先人たちから受け取った宝物を次世代へ――。強い気持ちを込めた言葉にKOBELCO大ホールの空気はピンと張りつめた気がした。二人の音楽家の真摯な言葉をじっと聞いていたホールは、彼らの思いを懐に抱き、さらに良い音を響かせていく空間になるに違いない。(大田季子)

 




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