祖国復帰前の沖縄に“あっぱれなおばぁ”がいた!「サンマデモクラシー」7/31(土)公開

山里孫存監督

第40回「地方の時代」映像祭2020で優秀賞(放送局部門)に選ばれた47分の番組をもとに、沖縄テレビ放送が劇場公開作品第2弾「サンマデモクラシー」(山里孫存監督、99分)を公開する。関西では7月31日(土)から第七芸術劇場で公開=初日14:10の回と8月1日(日)10:00の回終了後、山里監督によるオンライン舞台挨拶を予定。8月13日(金)から京都シネマ、元町映画館でも近日公開予定だ。

 

戦後、アメリカ統治下に置かれた沖縄では、琉球列島米国民政府の高等弁務官布令17号(1958年公布)の物品税法が適用され、日本からの輸入品には20%の関税がかけられていた。それがどれほどの庶民の負担になるか、私たちは消費税が10%になった時の痛手を思えば容易に想像できる。祖国の味として庶民に親しまれていた1尾25セントのサンマは、関税がかかると30セントに跳ね上がる。ところが布令の条文に明示されていた日本で獲れる魚介類の中に、サンマの文字はなかった。それを知った一人のおばぁが「サンマに関税がかかっているのはおかしい!」と、琉球政府を相手に収めた税金の還付訴訟を起こした。1963年のことだ。おばぁの名は那覇の牧志公設市場で魚卸を営んでいた玉城ウシ。明治生まれのウシはその時63歳だった……。

庶民の台所に直結する裁判で、当時は盛んに報道されたが、今では沖縄でも歴史の中に埋もれていた話にスポットを当てたのは、沖縄テレビ放送で1989年から制作畑を歩んできた山里孫存監督。6年前のある日、SNSでたまたま目にした友人の投稿「亡くなった親父は復帰運動の起爆剤となったサンマ裁判の裁判官でした」で興味を持ち、サンマ裁判のリサーチを始めた。当初はウシの存在を知らず、裁判にかかわった裁判官たちを主人公にするつもりだったという。山里監督にリモートで話を聞いた。

【山里孫存監督インタビュー】

調べ始めた時から「サンマデモクラシー」というタイトルは頭の中に沸いていたが、放送する目途が立たず、1年半ぐらい企画が寝ていた。公益財団法人民間放送教育協会が毎年、加盟各局に募る「民教協スペシャル」の社内コンペで寝かせていた企画が通り、ブラッシュアップさせていた時に、新聞記事でサンマ裁判は2つあることを知った。SNSを投稿した友人の父は裁判移送された2度目のサンマ裁判の裁判官で、最初はそれが面白そうだと調べていたが、1度目のサンマ裁判があり、しかも玉城ウシという魚屋の女将が起こした裁判だと知った。それで企画書を一気に書き変えて突き進んでいった。

玉城ウシ×下里恵良×瀬長亀次郎

(左から)瀬長亀次郎、下里恵良、玉城ウシ

なぜこんな面白い話を今まで誰も取材していなかったのだろうと思いながら、進めていった。ところが、玉城ウシについて調べても、生前の彼女を知る人がほとんどいない状態で断片的な情報しかなかった。裁判の情報は記録があったが、ウシおばぁがどのような人物だったかは同時代を生きた人たちの周辺取材で迫っていった。魚の行商をする糸満女は漁師の亭主とさえ契約関係で財布が別とか、ウシの妹トクと同じようにフィリピンに渡った糸満女たちがどんな暮らしをしていたかなどを書物から仕入れ、同時代を生きた人たちの情報からウシがどういう女性だったかを浮かび上がらせようとした。ウシの物語は、うちな~噺家 志ぃさーさんの落語に託した。

親しい間柄だったカメジローと下里ラッパ

ウシを調べていく中で、弁護を担当した下里恵良弁護士の破天荒な人生にも魅力を感じた。テレビ版では盛り込めなかった下里弁護士の話を、劇場版では追加取材して盛り込んだ。ユニークな弁護士で政治家の恵良さんの生き様を面白く描くのに、エンタメ界の話芸の一つ、カツベンのスタイルをとった。彼に関するエピソードは山ほどあり、追悼集にあるエピソードを物語にまとめた。カツベンにしたことには思い入れがある。志ぃさーさんに弁士になってもらい、撮影した場所は首里劇場という戦後、弁士たちが大活躍した文化財的な場所。荒廃した戦後の沖縄で、映画の力で人々がどんどん元気になっていった。それへの思いを込めてカツベンのスタイルを取った。

そして、下里と政治姿勢が異なりながらも互いに親しく交流していた「カメジロー」こと瀬長亀次郎。同時代を生きた3人の物語を交錯させながら、テレビらしく面白いドキュメンタリーを目指した。沖縄は音楽の島なので、復帰前の沖縄の世界観の中にジャズもロックも沖縄の民謡も取り入れた作品にした。

ウシおばぁの霊前で新たな発見

ウシの末妹ハンルーの息子と結婚した「カネハ水産」の清美さんが、仏壇のありかとともに貴重なエピソードを思い出してくれた

追加取材したのは今年1月末から2~3カ月。ウシおばぁの霊前に手を合わせたいと思って、仏壇のある場所を聞いたら東京・葛飾柴又のおいの家にあるとわかり、思い切って訪ねた。見事に沖縄風の立派な仏壇にあった位牌を見て意外な事実にも直面しますが、古い新聞記事の潰れた文字を読み誤って、別人と思っていた人が同一人物だったり、取材する中で僕は何度も驚きと発見があった。少し照れくさいですが、その感情がリアルに出ている。

沖縄では線香を立てて手を合わせると、祖先の霊と心の中で会話することができると信じられている。僕自身も亡くなった父とは、生きていた頃よりもよく話をしている。柴又でウシおばぁに手を合わせた時、声が聞こえた気がした。

「あんたたちそんなに面白いの?私の話が。当たり前のことをしただけなんだけどね。これはもしかして払わなくて良かったお金なの? そんなんガッティン(合点)ならん。純粋にそれだけ。民主主義なんて知らないけれど」

復帰50年を前に感じた「地続き」

緊急事態宣言下で制限されながらも先行上映された沖縄で、「サンマデモクラシー」は若い世代には新鮮に受け止められた。一緒に復帰前の沖縄にタイムスリップしたようで。高齢の人たちは「そうだった」と共感し、「ちむどんどん(心が躍り出す)したさー」と。紫の「Double Dealing Woman」が流れるシーンでは皆立ち上がるんじゃないかと思うぐらいテンションが上がっていた。

1961年2月~64年7月まで琉球列島米国民政府の高等弁務官を務めたポール・W・キャラウェイ中将は、歴代高等弁務官の中で最も強硬な直接統治をした

今回、調べれば調べるほど、復帰前の沖縄と今の沖縄と地続きだと思った。来年復帰50年を迎えるが、アメリカは従順だと思っていた沖縄がこんなにも抵抗してくるのかと手を焼いていた。面倒くさいから施政権は日本に還したほうがいい。アメリカとしては都合よく基地だけ使えればいいんじゃないのか、という返還だったのではないかと思えてきた。

辺野古の問題で翁長知事が菅官房長官に対面した時に「あなたを見ているとキャラウェイ高等弁務官と重なって……」と話したニュース映像は、99分の映画のどこに入れたら効果的だろうかと考えた。当時このニュースを見た人や取材していた報道陣の中の何人が、翁長さんの発言の皮肉を感じ取ることができたかなと思ったので、この映画で翁長さんの無念さや憤りを伝えられるんじゃないかなと思った。

 

地方テレビ局の番組を劇場公開する意義とは

近年、テレビ番組が劇場公開作にステップアップしていく流れがある。リードしたのは東海テレビ。系列のよしみで阿武野勝彦プロデューサーに会いに行くと、快くノウハウを包み隠さず教えてくれた。関連会社に出向中に「岡本太郎の沖縄」(2019年、葛山喜久監督)にプロデューサー・構成で関わり、こういう風に作るのかと体験した。その後、第38回「地方の時代」映像祭2018でグランプリを受賞したテレビ番組をもとに2020年、平良いずみが監督した沖縄テレビ開局60周年記念作品「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」にもかかわった。

こういう流れが加速しているのは、テレビで評価されて日本中の人に見てもらいたいと思う番組があっても、それを主要なテレビ局がゴールデンタイムに全国放送してくれることはまずないからだ。映画になることで、全く違う広がり方をする。違ういのちが吹き込まれる実感がある。数でいうと、テレビの方が見ている人は多いかもしれないが、観客は作品を選んで自分でお金を払って劇場に見に行くので、刺さり方が違う。ぜひ、たくさんの人に見てほしい。

 

「サンマデモクラシー」公式webサイト http://www.sanmademocracy.com/

©沖縄テレビ放送




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