【précieux 京都】#15 地域の人が集うヒュッゲなカフェ。自家製パンは心躍るおいしさ
カフェ・フロッシュ=京都市上京区七本松通五辻上ル東柳町557-7

precieux京都

 最近、良く聞く言葉に「ヒュッゲ」というのがある。デンマークのライフスタイルを表していて、心地よい空間で家族や友人と過ごすことで幸福や充実を感じるというものだ。無理をせず、見栄を張らず、手作りのぬくもりを感じながら、小さな幸せに感謝して簡素に生きる。「ヒュッゲ」な暮らしは、特集番組や本などで紹介され、日本人からも強い共感を得だした。

 もう、ヒュッゲそのものだっ、と思うカフェが北野天満宮の東門からすぐ、京都の花街「上七軒」の入り口近くにある。町家を改修したレトロなカフェはオーナーの定久須美さんが切り盛りしている。取材した日も、約束時間に客が来て「すみません、一人でやっているもので」と言いながら立ちあがり、慌てず、自分のペースでランチを作り始めた。客は海外からの旅行者で、わざわざやってきた。ベジタリアンメニューがあり、英語が通じ、ゆるやかな時間の流れを感じさせてくれる店は、海外の口コミサイトで「絶対に行くべき」と有名になり、旅の目的地になっているほどだ。その人気ぶりはテレビ番組が成田空港で行った調査で「リピートしたい場所」8位となり、ちょっとした話題になった。
 定久さんが水曜日と日曜日に数種類合わせて1日20個しか焼かない自家製パンは、近所では「あそこのパンはホンマにおいしい。秘密やで、ちょっとしか焼かないから」と、大切に“秘密”にされてきた。しかし、あまりのおいしさに漏れてしまい、早い者勝ちの売り切れごめん状態が続いていて、こちらも有名だ。

店の前の公園
木製の椅子に座ると大きな窓からやわらかい日に包まれる。店の前の公園からは子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる

 定久さんは大阪で生まれた。伝統工芸士になりたいと思っていた関東の大学在学中に西表島に行き、芭蕉布に出合った。以来、布を求めて宮崎、大分と巡り、島根で機織りを2年間修業した後、東京に戻った。自然の中での暮らしを覚えた身に東京は、もはや住みにくかった。和歌山・熊野の山間にヒッピーのように暮らす人たちがいて、あそこだといいのでは、と友人に聞き、パソコンだけ持って、移り住んだ。
 そこで出合ったのが、いま、焼いているパン。彼らは麹と天然酵母を使い、薪でゆっくり、自然に囲まれて、その日に食べるパンを焼いていた。麹は紡ぐ糸にも似ている。水と米では作れないものが麹を媒介にしてパンになり、それを食べることで見知らぬ人同士が心を結び、縁を発酵させる。虜になり、糸を染めて織り、パンを焼き続けて10年を過ごした。

天然酵母のパン
和歌山から京都に移住して来る際は、瓶に入った天然酵母を抱いてきたほどだ。それから22年間、同じ方法で焼き続けている。現在は近所の加藤味噌商店から麹をわけてもらっている。小麦粉は北海道産「はるゆたか」と全粒粉を使用。卵、乳 製品、油は不使用
入手困難なパン
入手困難なパンが目前に。これはチャンスだ。手土産にすると友人たちも大喜びに違いない。全部、買いたいと申し出たが、明日からのランチ用なので1つも無理です、と言われた。1日に焼く20個のうち、数日分のランチ用も含まれているのだ。500gとずっしりの食パン350円ほか
麹パンプレートは980円
麹パンプレートは980円。ハード系のパンが好きな人にはたまらないおいしさ。噛みしめると麹の甘味と風合いがにじみ出てくるようだ

 ドイツに嫁いだ2歳上の姉が年老いた両親を心配してドイツ人の夫と2人の子供を連れて日本に戻ってきた。10年前のことだ。それを機に定久さんは京都に移住し、語学に長けていて料理が上手い姉と、パンを焼く妹でコミュニティスペースのようなカフェをやろうということに。ネット検索して、借家、木造といれると、今の物件が出た。16年間空き家で老朽化が激しいけど、目の前に緑あふれる公園があり、機織り工房だったということも気に入った。改修に充てる予算が無いので「築年数不明の古い町家の改修を手伝ってくれる人募集」と町家再生サイトに出すと、大工ほか、なぜか海外からの旅行者も「1週間だけね」と手伝いに来てくれた。
 遠目で見ていた近所の人たちは最初は「オープンカフェは晴れがましいし、顔がさす」「こんな、硬いパン食べられんへんわ」などと言っていた。しかしながら、一生懸命な2人を応援する人が、日を追うごとに増えてきた。今は「京都の母と思いや」と通ってきてくれるおばあちゃんもいる。
 最大の危機は5年前。姉が、子供を連れてドイツに戻ると言いだした。家族や知人達からは「あんたがいなくなってもやれるけど、しっかり者のお姉ちゃんがいなくなるのは、アカンね」と言われた。まさに、その通りだった。一人で切り盛りして家賃を払いながら生活する自信が無い。閉店も考えていた定久さんを思いとどまらせたのは、近所の人達と、焼き続けてきたパンだった。このカフェは、ほんとうに居心地がいいし、ここに来るのが楽しみだから応援すると言ってくれる人がいて、自分が大切に焼くパンが大好きで仕方ないと言ってくれる人がいる。1年だけやってみよう、ダメならやめたらいい、と腹をくくり、何とか現在に至っている。

 いま、定久さんは、店に集まってくる人たちと進めていることがいくつかある。物づくりの若いアーティストのコミュニティを作ること。近所の靴職人、アーティスト、自転車屋など7人が集まって地域に人を集める情報発信やツアーを作ること。17時の閉店後に、自宅で仕事ができなかったり、自分のスペースが欲しい人に店を開放すること、など。
 人に支えられてここまで来ることができた。人の情や温かさが引っ込み思案な自分を盛り上げてくれたからこそ、今がある。京都の地は意外と懐が深く、この地域に見守られてきた。今度は自分が何かできることをしよう。他人と生きることは煩わしいこともあり、難しいけれど、とてもステキなことだから。

趣味のアンティークや家具のショップ
店の奥は、知人の大工さんに貸して、趣味のアンティークや家具のショップに
グッズの雑貨販売コーナー
壁面を利用して近所の友人と海外で買い付けてきたグッズの雑貨販売コーナーも
土間
土間でのコンサートや英語好きな人が集まる「英語ナイト」(毎週水曜日)などを開催

 

※カフェ・フロッシュ
〒602-8317 京都市上京区七本松通五辻上ル東柳町557-7
TEL:075-200-3900 (調理中は電話に出られないことがあり) 営業時間は11時〜17時、原則金曜日やすみ (祝日、25日の場合は前日が休み)。24席
https://www.cafe-frosch.com/

 


◆Writing / 澤 有紗

著述家、文化コーディネーター、QOL文化総合研究所(京都市上京区)所長。

京都、文化、芸術、美容、旅や食などなどをテーマに雑誌・企業媒体誌などの編集・執筆を担当するほか、エッセイなどを寄稿。テレビ番組や出版のコーディネート、国内外の企業の京都、滋賀のアテンドも担当。万博の日本館にて「抗加齢と日本食」をテーマに食部門をプロデュースするなど、国内外での文化催事も手掛ける。コンテンツを軸に日本の職人の技や日本食などの日本文化を「経済価値に変える」「維持継承する」ことを目的に、コーディネート活動を行っている。

主催イベントとして、日本文化を考える「Feel ! 日本 -日本を感じよう-」と、自分を見つめ直しQOLを高める「Feel ! 自分-QOL Terakoya Movement ? 」を定期開催。
https://www.qol-777.com

 

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