86歳の柳澤愼一、60年ぶりの主演映画『兄消える』を“遺作”と呼ぶ理由とは?~5/31(金)からテアトル梅田ほかで公開~

86歳の柳澤愼一が80歳の兄・金之助を、76歳の高橋長英が長年父を介護してきた76歳独身の弟・鉄男をW主演 ©「兄消える」製作委員会

 5月31日(金)から関西での公開が始まる『兄消える』(西川信廣初監督作品)は、見た人の記憶に長く残る大切な一本となりそうな人間ドラマだ。

 映画の舞台は信州・上田。千曲川のほとりで細々と町工場を続けてきた76歳独身の鉄男(高橋長英)が、100歳で亡くなった父の葬儀を終えた夜、家出したまま行方知れずだった80歳の兄・金之助(柳澤愼一)がワケありそうな若い女・樹里(土屋貴子)を連れて40年ぶりに戻ってきた……。

 そういうと、菊池寛の小説『父帰る』ではないが、もしかして『兄帰る』が作品タイトルとしてふさわしいのか?

 日活映画『酔いどれ幽霊』(1958年)以来60年ぶりとなる主演作を「遺作」と位置付けて奮闘した柳澤愼一さん(86歳)が5月20日、共演者の土屋貴子さんとともに大阪へPRに訪れた。

●体を張って演じた遊び人・金之助

老主人公の物語という企画は、新田博邦プロデューサーが、かつて見た映画『八月の鯨』(1987年)に触発されて、長年温めていたものという。新田さんは文学座養成所時代の同期でもあるベテラン演出家・西川信廣さん(日本劇団協議会会長、日本演出家協会理事)に「しっかり芝居を見せる映画を作りたい」と初監督を依頼。脚本は、同じく養成所出身で川端康成文学賞などの受賞作家・戌井昭人さんが、羽田の町工場を原風景に持つ西川監督の自伝的エピソードをモチーフに書き下ろした。高橋さんの旋盤作業も必見 (©「兄消える」製作委員会)

 日常生活ではステッキを手放せない柳澤さんだが、スクリーンの中の金之助は軽妙洒脱に動き回り、時にはスキップまで踏んでみせる。「撮影前、新田博邦プロデューサーから杖を突いてもいいよと言われたが、杖を突いた立ち姿を鏡に映してみたら、いい加減でちゃらんぽらんな遊び人・金之助に見えなかった。やっとの思いで私にたどり着いてくれた新田プロデューサーのこの映画に賭ける情熱に報いるには、体を張る以外に答えはなかった。痛みをこらえるのに歯ぎしりしたせいで、予測通り歯はボロボロ。口の中は傷だらけになったが、そこまで懸けられたのかなと自分では満足している」と笑う。

 取材中も自然な感じで傍らに寄り添っていた土屋さんは「樹里は子どもがいる40代の女性という設定。台本を見ながら、年の差があるからどんな感じになるんだろう? ちゃんとお相手役が務まるかなという気持ちがあったけれど、最初の顔合わせの時に金ちゃんが私に『ラブレターですよ』と自筆のお手紙をくださったの。ラブレターだから中身は言いませんけれど、それで私はスーッと自然に金ちゃんの横にいさせてもらえるようになりました。そのまんまの雰囲気が、画面に映っているんじゃないかな」と微笑む。

●細部が活写する人間がドラマに息づいている

 よくできた映画は細部の作り込みが秀逸だ。

 まずは金之助の登場シーン。台本通りではなく、柳澤さんのアドリブだったそうだが、映画館では、その衝撃の第一声を聞き逃さないでほしい。「登場シーンで脅しをかけました。僕の意地だったんでしょうね。60年ぶりの主演。単なる映画出演でも『ザ・マジックアワー』(2008年)から11年(撮影は2018年3月開始)。果たしてこやつ、どこまでできるか? 監督もプロデューサーも皆心配していたと思います。やっぱり無理だよな。86歳にもなって。滑舌はダメだし、足腰もダメだし……ということだったら全然画面が引き立たない。『兄消える』ですからね、やはり兄の動作がポイントになる。遺作というからには、これぐらい俺は命を懸けた。体もダメになることを承知でやった。それがないと。大変な自己満足だとは思っていますが、僕は自己満足できないものはやるなという主義です。自分が満足できなくて、どうして他人様が満足できるかってことです。その意味では体はこんなになりましたけど、これも自己満足の別のご褒美なのかなと」

「金ちゃん、カッコイイ!」と樹里役の土屋貴子さんが言うと、ダンディーな柳澤愼一さんがうれしそうに照れた。1952(昭和27)年にジャズ歌手としてデビューした柳澤さんは日劇に500日間出演。映画出演作も170本以上ある=5月20日、大阪市内で

 「もう何十年も私は、わが身を削って削りぬいた鰹節人生と言われてきました。永六輔にも『しんちゃんは鰹節人生。自分の身を削る分にはいくらでも削るんだから』と言われてきました。だからこれも削ったようなもんですけどね(と、口を指差す)。今回、たまたま映画を見た人から『千曲川って千の曲がりと書くよな。じゃあ、波乱万丈の柳澤愼一の人生ってのはつづら折りだな』という言葉をもらいました。はあ、そういう……鰹節人生プラスつづら折り人生。これだけ嫌な思いをしたけれど、勲章が一つ増えちゃったな」。笑いを含みながらそう話す柳澤さんの言葉を受けて土屋さんが「でもね、現場では皆には全然わからないぐらいサラッとされているの。そこがカッコイイと思います」「カッコイイの?」「うん。金ちゃん、全然カッコいい!」――取材中ながら役柄そのままの、この絶妙なやりとり。これはもう、独り身の鉄男には、まぶしかったに違いない。

 細部でもう一つ印象的だったのは、その鉄男の朝ごはん。柳澤さんも「僕もね、朝ごはんの時のあの音が耳にこびりついちゃって。気になってしょうがなかった。ああ、こいつ40年ずっとこの音か……。鉄男を語る上で、おかずのパリッ、パリッという無味乾燥な音が、十年一日のようで。あれに集約されているなと思いましたよ」と話す。

●存在感のある文学座の名優たちで「上田の物語」に

 西川監督がテーマとして描きたかったのは「失われゆく地域のコミュニティーとそこに暮らす人々のつながりの温かさ」だという。

 脇役として登場する文学座の重鎮メンバーたち(金内喜久夫、たかお鷹、原康義、坂口芳貞、新橋耐子、江守徹<特別出演>)が、テーマに息を吹き込む存在感のある素晴らしい演技を見せている。柳澤さんも「配役の妙、文学座のお陰です。本公演でもこれだけのメンバーは集められないという人たちが演じてくださった。とてもぜいたくですよね。芝居も映画も脇がしっかりしていることは貴重です。文学座の人たちは町並みに溶け込み、はまり込んでいた。本当にあの町から出た人じゃないかなと思わせるような空気を醸し出し、上田の“在”がにじみ出る映画だったと思います」と褒める。

 ロケ地となった長野県上田市出身で、当地の観光大使も務める土屋さんも「上田の町並みを歩いていると、金内さんの町内会長さんが出てきそうな感じがします。私はずっと上田の物語ができたらいいなと思ってきました。フィルムコミッションが盛んで環境がいいのでロケ地としてはたくさん使われてきたけれど、上田の物語はなかった。今回、観光地でなく、皆が日常で飲み歩いている袋町の一画や生活で使われている場所、そこから見る浅間山や千曲川の景色を気に入っていただいたことはものすごくうれしい。だからこの映画は『上田の物語』にもなったと思っています」と話す。5月18日から上田で始まった先行上映の初日舞台挨拶で、柳澤さんの第一声は「ただいま!」だったそうだ。

●金之助のセリフに込められた人生賛歌

 新田プロデューサーが触発された『八月の鯨』と同じ、老いたきょうだいが主人公の物語だが、柳澤さんはその違いを次のように語る。

©「兄消える」製作委員会

 「リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスが姉妹を演じた『八月の鯨』は、ちょっとネガティブ。人生の半分はトラブル。後の半分はそのトラブルをいかに乗り越えるかにあると言っていましたよね。こっちはもっとポジティブなの。最後の方で金之助が、激高した鉄男に向かって珍しくまともなことを言います。自分の人生を振り返る時には、皆さん、あのセリフをぜひ思い出してほしい。遠回りしちゃったな。あんな無駄なことしなきゃよかったな。あれから真っ直ぐこっちへ来ていたら……いろいろ思うその時に、あのセリフを思い出してもらえたらホッとするんじゃないでしょうか。まじめに生きようと、多少いい加減に生きようと、人生捨てたものじゃないと思ってもらえると思います」

 取材者が「遊び人の金ちゃん、粋(いき)ですね」と言うと「粋(すい)ですよ。人間ドラマを描く映画が本当に少なくなったから、いろんな人に見てもらいたいと思います」と結んだ柳澤さん。映画の余韻に浸っている時に流れ出すシャンソンは、ジョルジュ・ムスタキ「私の孤独」を日本語詞(歌・元次郎)。

 あぁ、そうか。そうだね。『兄消える』のタイトルが、すとんと胸に落ちた。

 

【公開情報】5月31日(金)からテアトル梅田、6月1日(土)から京都シネマ、順次、元町映画館で公開

 

『兄消える』公式ホームページはコチラ https://ani-kieru.net/




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