雅な気分と知的好奇心を満足させた「星のや京都」の「奥嵐山の歌詠み」体験記

10月12日のオンラインプレス発表会で、2005年に「もう一つの日本」をブランドコンセプトに掲げてスタートした星野リゾートの最上級ブランド「星のや」のコンセプトが再定義された。

「その瞬間の特等席へ。」

四季のある国・日本で、刻々と移り変わる季節のたたずまい。先人たちは四季をさらに二十四節気、七十二候に細分化し、季節の恵みを享受し、時の移ろいを愛でた。

星野佳路代表は「日本に進出している外資系ホテルができない“和のおもてなし”とは何かを真剣に議論して考えた」と胸を張る。そのコンセプトを体感できる特別なイベントの一つ「奥嵐山の歌詠み」を、10月5日「星のや京都」で体験してきた。

 

平安貴族が興じた嵐山にたたずむ水辺の私邸「星のや京都」へは、嵐山の渡月橋から船で約15分、大堰川を上っていく。季節の変わり目のこの日は少し風があり、川面がやや波立っていた。「嵐山の名の由来はこんなところにあるのかも」。自然の変化に敏感だった先人たちに思いを馳せる。

まずは座学。冷泉家の当主で公益財団法人 冷泉家時雨亭文庫 理事長の冷泉為人(ためひと)さんが話された。

「星のや京都」の蔵の中にレクチャー室が設けられていた

大学で40年間教鞭を取っておられただけに、為人さんのお話は多岐にわたり、示唆に富む。自身は大学で美学科に入り、日本美術史を学ばれたそうだ。

「ヨーロッパの思想の源流は、ギリシャ哲学にあります。真善美はソクラテスの言葉ですが、哲学は、人間とは何か、美とは何か、私とは何かということを考える学問です」

「外国に行けば日本のことがわかります。川端康成は『美しい日本』と言いました。東大でフランス文学者・渡辺一夫に学んだ大江健三郎は『日本文化の本質を融通無碍(ゆうずうむげ)にある』と言いました。皆さんはどう思われますか? 日本では手紙を書く時、なぜ時候の挨拶をするのでしょう?」

冷泉家は平安・鎌倉の歌聖と仰がれた藤原俊成、定家父子を祖先に持つ「和歌(やまとうた)の家」だ。冷泉の家名を名乗るのは、鎌倉時代の爲相(ためすけ)からで、そこから現当主の為人さんまで25代約740年間の歴史がある。

天皇の命を受けて勅撰歌集を編むことを「家職」として続けてきた家で、冷泉家を名乗る以前にも、藤原道長の子・長家から始まる「和歌の家」の御子左家(みこひだりけ)で、長家、忠家、俊忠、俊成、定家、為家と続く約280年の歴史がある。つまり冷泉家は、平安時代から数えると、千年にわたって連綿と続く「和歌の家」なのだ。

京都御所の北、今出川通に面した冷泉家時雨亭文庫では、歌会や公家文化を伝える年中行事などの無形文化財の継承保存を行っている。さらに、国宝5件、重要文化財48件を含む1300余点の貴重な有形文化財を後世に伝えている。現在も、土蔵造りの「北の大蔵」を建設している。

為人さんのレクチャーの後、小休止で和菓子とお茶をいただく。奥の庭の紅葉はまだ本格的に色づく前だったが、ここに一足先に秋の気配が

続いて為人さんの夫人で冷泉家時雨亭文庫の常務理事・事務局長の冷泉貴実子さんのお話。

「文明開化でヨーロッパ文明を受け入れた日本には、芸術とは“自我を表現するもの”というヨーロッパ流の考え方が広まりました。ヨーロッパでは、他人と自分は違うことが前提ですから、人のまねをしてはいけないことになりました。

一方、明治以前の日本には、例えば『春』といえば“めでたい”という、万人に共通の感覚がありました。“あなたと私は同じ”という共通の感覚をもとに、しゃれた言葉、洗練された言葉に“美”を見出して“型”の文化が育まれていきます。新春に催される歌会はめでたく、初釜は春を喜ぶお茶会です。しかし、そういった感覚が、明治以降どんどん失われていきました」

その話を聞いて、この十年来、月に一度、友人たちと読み進めている「源氏物語」で登場人物たちが節目節目に詠む和歌の意味合いが腑に落ちた。それらの歌の多くには引き歌があり、そこには歌を詠んだ女君や男君たちと、元歌の読み手との間に同じ気分が流れ、響き合って世界を広げている。物知りで機転の利く女房たちが仕える貴人たちのサロンが人を集め、にぎわったのは、和歌の持つそんな力が支えていたのかもしれない。。。

そんな感慨にふけっていると、貴実子さんが1枚のプリントを示された。

「今日は皆さんに秋の七草のひとつ、『萩』を和歌に詠んでいただきます。プリントに『萩』について和歌に詠まれてきたことばを示しました。どんな意味か、見ていきましょう」

「匂ふ萩原」「萩が枝」「しづ枝」「露の玉萩」……30も並ぶことばのそれぞれについて、貴実子さんが解説される。萩の咲く野原の情景が目に浮かぶようだ。

その後「これらのことばを使って、皆さんに和歌を詠んでいただきます。場所を変えましょう」と促され、別棟の和室へ。白足袋に履き替え、扇子を前に置き、一礼して和室ににじり入る。気持ちが引き締まるようだ。膝が悪く正座できない私のような無粋者には座椅子が用意されていてありがたい。

「先ほどのプリントのことばを使って、萩の和歌を二首、詠んでください」

参加者は首をひねりながら、どれを使ってどんな歌を詠もうか、考えている。

貴実子先生から作法を教わりながら、墨をすり、半紙を折って小筆で和歌を書きつけていく。筆記用具を使って机の上で文字を書くのではない。十二単の平安人がさらさらと小筆を動かして書きつけているイメージが脳裏に浮かんだが、初めての経験だ

「私は別室に移動しますから、できた人は詠草を持って見せに来てください。添削します。その添削した和歌を最後に短冊に書いてもらいます。短冊に書く時は、短冊を三等分した上方の真ん中に本日の題『萩』を書き、下の三分の二のスペースにご自身の和歌の上の句と下の句を書き、最後に名前を書きます」

実は私は割と早く3首を読むことができた(友人たちと源氏物語を読み続けてきたお陰かも?)。貴実子先生に見せに行くと「自分が好きなのはどれ?」と尋ねられ、「最後の句でしょうか?」と言うと、「これはよくない。夕まぐれと夜が二つあるのはよくないです。真ん中の歌の、彼の君とは?」「光源氏、源氏の君ですね」(実は、末摘花になったつもりで詠みました)。「なるほど。これがいいと思いますよ」

ということで、麗しい短冊にその歌を書いた。練習はしたのだが、緊張のあまり手が震えてしまって、不出来なものとなってしまった。それでも貴実子先生から「短冊はちゃんと飾ってくださいね」と言われたことを守って、この秋、玄関の下駄箱の上に飾っていた。

それにしても、雅な気分と知的な刺激に満ちたひとときだった。「奥嵐山の歌詠み」の参加者たちは「とても面白い経験でしたね」と口々に言い合って、会場を後にした。(大田季子)

 

【お知らせ】冷泉ご夫妻を講師にした「星のや京都」での歌詠みは、次回以降も下記の日程で宿泊者を対象に行われる予定だ。歌詠み体験の翌日には、冷泉家時雨亭文庫も見学できる。

(冬)2024年1月14日(日)~1泊
(春)2024年4月3日(水)~1泊

「星のや京都」の公式サイトはコチラ https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyakyoto/

 

 

 




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