炭坑の労働と生活を描いた世界記憶遺産の画家のドキュメンタリー映画『作兵衛さんと日本を掘る』7/20(土)関西で公開

 2011年に日本で初めてユネスコの世界記憶遺産となった山本作兵衛さんが描いた炭坑で働く人々の絵を見たことがありますか? まだの人は、7月20日(土)から関西で公開が始まる熊谷博子監督の最新作『作兵衛さんと日本を掘る』で、独特の力強い筆致と細かな描写が不思議な感動と衝撃を与える、彼の作品にぜひ出会ってみませんか。

作兵衛の絵には少し右上がりの細かな字で場面を説明する文章が書かれている。左下は坑内労働の時に働く人々が歌った「ゴットン節」(©Yamamoto Family)

 山本作兵衛(1892-1984)は、明治から昭和初期に筑豊炭田で働いた人々の労働と暮らしの姿を生き生きと描いた。『作兵衛さんと日本を掘る』で、彼の絵と、熊谷監督のインタビューに応じた人たちの貴重な証言によってあぶりだされるのは、作兵衛が生きた時代と現代日本を底流でつなぐ“何か”だ。映画タイトルも“何か”の存在を暗示しているようだ。7年がかりで本作を完成させた熊谷監督は「炭鉱があったことすら知らない世代の人たちにも映画を見てもらって、現代日本の地下に埋もれている事実の坑道を皆で掘り出していきたい」と話した。

 

くまがい・ひろこ●1951年東京生まれ。75年から番組制作会社のディレクターとしてTVドキュメンタリーを制作。85年にフリーの映像ジャーナリストとなる。土本典昭氏との共同監督作品『よみがえれカレーズ』(1989年)ほか、『ふれあうまち』(1995年)、『映画をつくる女性たち』(2004年)などを発表。三井三池炭鉱の記録映画『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』(2005年)でJCJ(日本ジャーナリスト会議)特別賞、日本映画復興奨励賞。テレビ番組『三池を抱きしめる女たち~戦後最大の炭鉱事故から50年~』(2013年)は「第40回放送文化基金賞」テレビドキュメンタリー部門で最優秀賞(熊谷監督本人も番組部門の制作賞を受賞)、地方の時代映像祭奨励賞などを受賞した(写真は7月1日、大阪市内で撮影)

 映画は、2,000枚ともいわれる山本作兵衛の作品から55点を紹介している。

 「まずは美術映画として成立するレベルで、作兵衛さんの絵をきちんと描きたかった。ご家族が持っている絵と世界記憶遺産になっている絵から、女性の坑内労働を描いたものを中心に、生活が良く出ている作品を選んだ。原画は画用紙に水彩で描かれているので、いつかはボロボロになる運命にある。世界記憶遺産になった絵は、かなりきちんとしたレプリカを作っているが、きちんと映像で残せたという意義もあったと思う」

 そして熊谷監督は「原画を撮っている時間はすごく幸せな時間だった」と振り返る。

 「絵そのものが美しい上に、いろいろな発見があった。普通、絵はフレームでしか見ないが、映像だと寄ることができる。大体どんな絵でも寄ると粗が見えてくるものだと思うが、寄れば寄るほど『おおっ!』と新たな発見があった。ディテールをここまで細かく書き込んでいるのか、と。撮影中には『女坑夫の縄が痛そうだな』とか、いろんなことを皮膚感覚として思った。そんなドキドキ感を、映画を見ている人にも共有してほしい」

 先行上映している東京(ポレポレ東中野)で熊谷監督は「ゴットン・トーク!」と称していろんな人と対談している。美術評論家の椹木野衣(さわらぎ・のい)さんは、日本を代表する現代美術家である菊畑茂久馬さんが、作兵衛さんの絵を見て20年間描けなくなったことについて「作兵衛さんの絵は体つきの描き方も独特。デッサンを勉強した人の絵は、こうはならない。ちゃんと勉強したわけではない人の絵が、これだけ人の心を打つことにショックを受けたのだと思う」と話したそうだ。

 

山本作兵衛は描いた絵をよく人にあげていたという。後ろは妻のタツノさん(©Taishi Hirokawa)

 「描いては描きちらし、生きることそのものが描くこと」だった作兵衛の絵は細かく、すべて余すところなく描いている。「すべてを網羅したいという使命感が92歳という長命につながったのではないかと思う。『500年先に伝えたい』という言葉を残しているが、世界記憶遺産になっている絶筆も、何を描いているのかわからないけれど、伝えたいんだろうなということが伝わってくる作品だった」と熊谷監督は言う。

 執念ともいえるその使命感はどこから来るのか?

 かつて石炭産業は日本の近代化を支えた。山本作兵衛は、100を超える中小の炭鉱があった福岡県の筑豊炭田で、幼いころから両親と炭坑で働いてきた。1904年、12歳で鍛冶工見習いになったのを皮切りにのべ21の炭鉱で転々と働いた。本格的に絵を描き始めたのは57年、65歳の時。のちに世界記憶遺産となった水彩画を2日に1枚のハイペースで書き始めたのは64年、72歳の時だった。

 「ちょうど東京五輪の年で、子どもの私の記憶では東京は盛り上がっていた。当時は知らなかったが、筑豊では閉山が相次ぎ、失業者があふれていた。当時も東京と地方の格差は大きかったのだろうと思うが、来年2020年も恐らくそうなるのではないかと考えてしまう。それも含めて日本は変わってない。繰り返されているよねと思う」

橋上カヤノさん(左)と念願の体面を果たした熊谷監督。6人の子を亡くしたカヤノさんは壮絶な人生を語り始めた(©2018 オフィス熊谷)

 映画にはかつて女坑夫として働いていた103歳の橋上カヤノさんが登場する。

 「三池の映画を作っていた時から探してはいたが、実際に働いた人を見つけることはできなかった。女性の坑内労働は1933(昭和8)年に禁止されたが、炭坑に潜らなければ生きていけない人たちは違法のまま働いていた。炭坑で働いていたことを隠す人もいるけれど、カヤノばあちゃんは、自分がいい女坑夫だったことに誇りを持っていたと思う。最後は105歳まで撮らせていただいて、撮影の2週間後に亡くなった。

 炭鉱労働は最も過酷な労働で、作兵衛さん自身『他に仕事があれば、こんな仕事を選ばない』と言ったけれど、それを生業とせざるを得ない人たちがいた。そして、この人たちがいなければ、日本の近代化も高度経済成長の糸口もなかったことを忘れてはいけないと思う」

 

 筆者は学生時代に「職業に貴賤なし」という言葉を教わった。「それは理想であって、現実はそんなに甘くない」という声もどこかから聞こえてくる。だが、機会の均等すら保障されないままに自己責任論が渦巻くこの国で、筑豊の炭鉱の所有者の末裔である政治家は理想を一顧だにせず「下々の皆さん」と失言する。そんな日本の底流に何があるのか。『作兵衛さんと日本を掘る』を見て、じっくり考えてみたくなった。

 

【公開日程】7月20日(土)から第七藝術劇場、京都シネマで。順次、元町映画館で公開。熊谷博子監督の初日舞台あいさつを、京都シネマが11時50分の回終了後、第七芸術劇場が15時の回終了後に予定している。




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