今も続く枯葉剤の被害「失われた時の中で」坂田雅子監督最新作、9/3(土)から関西でも公開

「結果的に夫の遺志を継いだことになるのかもしれませんね」と話した坂田雅子監督=8月23日、大阪市内で

2003年、写真家の夫グレッグ・デイビスをわずか2週間の闘病で突然亡くした坂田雅子監督は、ベトナム帰還兵だった夫の死の原因が枯葉剤だったかもしれないと知り、ビデオカメラを手にベトナムへ渡り、枯葉剤被害をテーマにした作品を作り始めた。「花はどこへいった」(2007)、「沈黙の春を生きて」(11)と、戦時中に使われた枯葉剤をテーマにドキュメンタリー映画を制作してきた坂田監督の最新作「失われた時の中で」が、9月3日(土)から第七藝術劇場(阪急十三)で、16日(金)から京都シネマ(阪急烏丸)で公開される。キャンペーンで来阪した坂田監督に話を聞いた。

【坂田雅子監督インタビュー】

――集大成ともいえる作品の公開がウクライナ侵攻の時期に重なりましたね。

公開時期を意図したことはありません。前2作を作った後で枯葉剤についてはもう終わりかなと、原子力などに目を向けていたところ、たまたまベトナムに行く機会があり、枯葉剤の新しい被害者に出会い、まだまだ伝えなければならないことがあると思い直して2019年に再び撮り始めました。そのうちにコロナが始まって動けなくなったので、撮ったものをまとめてみようとしていたところ、フランスで訴訟があった。それを入れた本作ができたところで、ロシアのウクライナ侵攻が始まったのです。

ウクライナ侵攻の報道を見るにつけ、ベトナムと重なるところがあると思っています。どうして私たちは同じことを繰り返すんだろう? 戦争に対する思いが、みんなの中で鮮明になってきた時期に公開が重なったので、さらに考えるきっかけになってくれたらいいなと思っています。

 

――アメリカ政府と企業に裁判を起こしたフランスの訴訟では「パリ地裁ではアメリカの軍事行動を裁くことはできない」と退けられましたが、原告の元ジャーナリストのベトナム人女性が最後に勝利宣言をしました。

ベトナム戦争時、枯葉剤をまく米軍機 ©️2022 Masako Sakata

彼女は訴訟に持っていけて、過去の問題だと忘れ去られそうになっている枯葉剤の問題が、日の下に持ち出されたという意味で「勝った」と言ったのだと思います。

枯葉剤の影響は子々孫々に伝わっています。戦時下で実際に枯葉剤を浴びた人たちや身体が弱い人たちは亡くなっていくので、だんだん減ってきてはいるけれど、終わりかと思ったらまた出てきている。今被害を受けているのは、ベトナム戦争の時には生まれてもいなかった人たちです。なぜこのように遺伝するのかが解明されてはいませんが、遺伝していくことはまず間違いないと思います。

――被害の実態は数字で把握されていますか?

2、3年前にユニセフが行った調査では、ベトナムの人口の7%、約620万人の人が今現在、障がいを持っているそうです。それが全部枯葉剤の影響とは限りませんが。

私自身は数字ではなく、たとえ一つの家族でも、実際にこういう人たちがいるのだということを見ることによって、被害の実態が伝わると思っています。いずれにせよ、何百万人が被害に遭ったことは間違いありません。

人的被害を認めていないアメリカですが、土壌汚染は認めています。かつてダナンにあった米軍基地のクリーンアップはもう終わっていて、ビエンホアも10年ぐらいかけて国の責任でやろうとしています。ところが人的被害については因果関係を認めていません。実際に障がい者がたくさんいることは間違いないので、自分たちの責任ではないけれども、人道的な見地から助けてあげましょうという態度なのです。

――なんだか納得できませんね。

ええ。でも、ベトナムとアメリカは中国に対する姿勢も同じで、今、とても仲がいいです。最近ベトナム大使館の人に「アメリカに対してどういう気持ちを持っているのですか?」と聞いたら「アメリカのことは、ほとんどの人が大好きです。ベトナム人のモットーは『許す、けれども忘れない(Forgive,but not forget)』。過去のことはいつまでも根に持たずに前を向く。枯葉剤の問題についても、許しはするけど、忘れるわけではない」と。

その話を報道カメラマンの中村梧郎さんにしたら「ベトナムは1千年以上の昔からいつも侵略されてつらい思いをしてきた。最初は中国、そしてフランス、アメリカ。そのつど根に持っていたらやっていけないから、許して過去は忘れるという姿勢が根付いている」と言っていました。

平和村で暮らす子どもたち ©️2022 Masako Sakata

――映画で子どもたちが暮らしているハノイのツーヅー病院の平和村の存続が危ぶまれているとありましたが

平和村はまだありますが、新しくオレンジ村という施設を作ろうという動きがあります。名前はAgent Orange(枯葉剤)にちなみ、障がいがある子どもたちのケアセンターと、枯葉剤を浴びた世代のリハビリや治療、障害を持っていても少しは働ける子どもたち向けに農業指導をする施設を作ろうというもので、日本のNGOもかかわっています。コロナで動きが止まっていますが、それはこれからの希望かなと思います。

――障がいを持ちながらも自立してたくましく生きる若者たちにも希望を感じました。

枯葉剤が多くまかれたタイニン省で生まれたロイ(右)は平和村で育った。今は自立してファッションショーで出会ったデザイナーの妻と結婚。2人でブティックを経営している ©️2022 Masako Sakata

映画に出てくる2人の若者は手や足がありませんが、彼らにとってはそれが当たり前。比べると他の人とは違うところがあるけれど、みんなに愛されて生きてきて、自分たちは劣っているのではないと生きてきたのではないかと思います。撮影しながら私自身、障がいについても考えさせられました。

希望を持ち続けることは大変ですが、絶望したからといって、そこでやめてしまうわけにはいかない。絶望しても、細胞の一つひとつが「生きろ」「生きろ」と言っている。そういうところに命って希望があるんじゃないでしょうか。

――命は希望、ですか。ベトナムには沖縄の「命どぅ宝」のような言葉はありますか?

それはわからないけれど、最初にベトナムへ行った時、頭が2つある男の子のお母さんが「天が与えてくれたものだから、子どもは育てなくてはならない」と言いました。夫を亡くしたばかりで生と死についていろいろ考えていた私は「天って何ですか?」と尋ねました。しばらく考えた末の彼女の答えは「先祖」でした。彼女たちにとって命とは、先祖から代々引き継いできたものなのですね。

――映画のタイトル「失われた時の中で(Long Time Passing)」にはどんな意味が?

ベトナム反戦歌としてよく歌われた「花はどこへ行った」(Where Have All the Flowers Gone?)の2フレーズ目の言葉です。私たちが学生の頃は盛んに歌われたのですが、今の若い人たちは知らないのかもしれませんね。ピーター・ポール&マリー(PPM)が最初に歌い、歌詞の最後は「人はいつになったら学ぶのだろう? 戦争をやめるのだろう?」という問いかけで終わります。

©️2022 Masako Sakata

Long Time Passingの日本語訳で思いついたのが「失われた時の中で」という日本語タイトルでした。枯葉剤の被害者も私も、戦争によって失われた時があり、その中を生き抜いてこなければならなかった。その中で何かを探しながら生き抜いてきた。探していたものが何だったかというと「人はいつになったら学ぶのだろう?」ということへの答えだったんじゃないかと思うんです。多分その答えは見つからないけれども、問い続ける必要があるんじゃないかという気持ちで、タイトルをつけました。

枯葉剤の問題は、日本にとっても対岸の火事ではありません。日本でも1970年までに枯葉剤は除草剤として山林にかなりまかれました。毒性がわかって71年に禁止されてたくさん余ったものは山林に埋めた。それが全国54カ所ぐらいで発見され、異常気象で雨に流される恐れもあるため、何とかしなくてはと問題になっている。沖縄の米軍基地にもたくさん埋められていることがわかっています。

また、日本のスーパーや量販店では、発がん性があるとヨーロッパで禁止されている除草剤が当たり前のように売られています。アメリカでは一人の農夫が訴訟を起こし、大きな補償金を化学薬品会社から勝ち取った除草剤です。そういうものが日本で売られているのはなぜなのでしょうか。レイチェル・カーソンは「少しでも危険だと思ったら使わない」という予防原則を唱えていますが、日本では危険が明らかでない限り使ってもよいという態度。それだと環境汚染はどんどん進みます。

ベトナムで60年前にまかれた枯葉剤の問題がいまだに尾を引いている。ということは、私たちが今していることで、60年後にどういう厄災をもたらすかわからないことがあるかもしれない。私たちはそういうことにも目を見開いていかなければならない。目の前の消費や豊かな生活にひかれてばかりでは困るよと言いたいです。

――映画を見ていたら、監督が夫さんのことが大好きなのだなとひしひしと伝わりました。どこで出会ったのですか?

京都市左京区、百万遍から鴨川の方に向かう田中関田町でグレックに出会いました。長野県出身で京都大学の学生だった私は当時、お風呂のない安アパートに住んでいて、銭湯に行こうとしていたら、タバコ屋の前で「銭湯はどこですか?」と声を掛けられた。そんな出会いでした。その時お互い22歳でしたが、一生一緒にいるとは思いませんでした。

©️Joel Sackett

――メイン写真の場所はご自宅ですか?

はい。1993年に群馬県みなかみの家で撮った写真です。亡くなる10年前、45歳のグレックです。私は今もそこに住んでいます。

夫を亡くした時は本当にショックでした。ベトナム帰還兵の1/3が55歳までに亡くなっていると聞き、年月が経つにつれて、夫は枯葉剤で亡くなったと確信するようになりました。私の同級生を考えてもクラスの30%が50代で死ぬなんてありえない。だから証明することはできないけれど、そうなのだろうと思います。

でも、もうそれは大事なことではなくて、夫の死によって私自身が目を見開かれ、次のステップに進んでいったということが重要だと思うようになりました。

――グレックさんも枯葉剤の被害者の写真を撮っていたのですか?

はい、たくさん撮っています。映画の中でも枯葉剤がいかに企業の利益のために人々を犠牲にしているかということをかなり強い口調で言っていました。けれども、彼が枯葉剤をテーマにしていたのは自分の身に引きつけてのことでもあったということを、当時私は全く知りませんでした。おくびにも出さなかった。考えたくなかった。避けて通っていたのかもしれません。彼は兵役を退いた後、アメリカに戻ることはありませんでした。

――ありがとうございました。

【イベント情報】

★第七藝術劇場 http://www.nanagei.com/

9/3(土)12:30の回上映後、坂田雅子監督 初日舞台挨拶

9/4(日)12:30の回上映後、坂田雅子監督と桂良太郎さん(日越大学[ハノイ国家大学]客員教授)とのトーク

★京都シネマ https://www.kyotocinema.jp/

上映後に坂田雅子監督とゲストによるトーク。上映時間は劇場ホームページで確認を。

9/18(日)鈴木元さん(国際ジャーナリスト)

9/19(月・祝)アイリーン・美都子・スミスさん(環境ジャーナリスト)

9/28(水)山極壽一さん(総合地球環境学研究所 所長/人類学者)




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