地に足着けた農村の暮らしが照らす日本の現在「日本原 牛と人の大地」9/17(土)から関西で公開

「一番好きな映画監督は土本典昭さん(1928-2008)」と話す黒部俊介監督(右)と本作のプロデューサーとなった妻の黒部麻子さん。2人は東日本大震災後に生まれ育った東京から岡山に移住。もともと仲間内で見るものとして撮っていた本作の1号を「できたよ」と見せられた麻子さんは「不覚にもグッときてしまい、もっと多くの人に見てもらいたいと思った」。そこで出版社勤務時代のツテで配給会社「東風」の知人に連絡。編集マンの秦岳志さんにつないでくれたことで劇場公開が決まったという=9月7日、大阪市内で

早稲田大学卒業後、日本映画学校でシナリオとドキュメンタリーの勉強をしたものの、映画の道をあきらめて、本屋で働いたり、福祉の仕事をしたりしていた黒部俊介さん(42歳)の初監督作品「日本原 牛と人の大地」(110分)が9月17日(土)から第七藝術劇場、10月7日(金)から京都シネマ、順次元町映画館で公開される。緑豊かな農村で地に足を着けて丁寧に生きている人たちの暮らしが、思いがけない日本の現在を照らし出し、問い掛けてくるドキュメンタリー作品なのだが、見終わった後がなぜかとてもすがすがしく心地よい。なぜだろう?

日本原は岡山県奈義町と津山市東部に広がる高原だ。その中に東西6キロ、南北5キロ、総面積約1,450万㎢の陸上自衛隊「日本原演習場」がある。日露戦争後の1909(明治42)年に旧陸軍が是宗(これむね)、近藤という2つの村を強制的に買収して作った軍事演習場を前身とする。演習場内には地元の人たちが耕作する田畑やため池、神社などがあり、今も地元の人たちが「ヒデさん」と慕う内藤秀之さん一家が耕作を続けている。

 

黒部監督がパワハラで福祉の仕事をやめて食肉センターでアルバイトをしていた時、

「岡山大学の医学部をやめて、自衛隊に反対するために牛飼いになった人がいる」

と聞いて、その人に会いたくなった。それが内藤秀之さん(75歳)だった。

 

【黒部俊介監督&黒部麻子プロデューサー インタビュー】

――ヒデさんとの初対面はどんな風でしたか?

「ヒデさん」こと内藤秀之さん

俊介 最初ヒデさんに手紙を書いて、ヒデさんを知る人と一緒に家まで訪ねていきました。仕事が忙しいのに歓待してくれて、演習場まで案内してくれた。道すがらヒデさんは「演習場の中のため池の水が濁って困っている」というようなことを淡々と話してくれた。話し方や人への接し方が穏やかで、筋金入りの反基地闘争の担い手というイメージと違って意表を突かれました。

普通、僕のような若い人間が突然訪ねてきたら「学んで帰れ」という風になりがちでしょ? それにこの世代の人はパワハラや偉そうな態度は当たり前という人が多いのに、ヒデさんは全く違った。僕は威圧的な人は本当に嫌だったので、そこにまず驚きました。

――その後すぐに撮影を始めたのですか?

ヒデさんと早苗さんが長年作り続けてきた山の牛乳は2019年4月に生産を終了した

俊介 いいえ。自宅のある倉敷から片道100キロ、車で2時間半かかりますが、クランクイン前の2018年11月ごろから牛の世話をしに内藤牧場に行っていました。牛は繊細で、狭い牛舎に知らない人間がいると蹴ったりするので、まず牛に僕を覚えてもらうことが大切でした。そして内藤さん家族との関係も作っていきました。

牛の世話をしている時に大体のことは聞きました。映画に出てくる学生運動で亡くなった友人・糟谷孝幸さんのこと、低温殺菌の「山の牛乳」の生産と心の病を抱える人たちが担っている宅配のこと、自衛隊のこと……牛と一緒に聞いている感じで、牛との生活をベースに映画を撮ってみようと思ったのです。牛と人との生活がベースで、全部一つのつながりだと思いました。

撮影自体はホームビデオカメラで、2019年1月から20年2月まで行いました。

――牛の世話をしながらの暮らしを伝えるナレーションは同居している息子さんでしたね。ゆったりしたリズムの語りが、聞いていてとても心地よかったです。

俊介 ナレーションは内藤さんの次男・陽さん(45歳)です。長男の大一(だいち)さん(49歳)は岡山市でブドウ農家をしながら、実家のサポートもしています。

自転車に乗る陽さん。陽さんは相手が嫌な気持ちになることに対する感受性がとても鋭い

撮影中、僕は陽さんの部屋で寝泊まりさせてもらいました。彼には心の病がありますが、撮影の終盤にドキドキしながらナレーションをお願いしたらOKしてくれました。

陽さんの障がい特性から夕方の時間帯は厳しいので、昼前後、11時から午後の3時ごろまで僕が書いた原稿を彼が読み上げる形で1日かけて録音しました。本来苦手なことだと思うんですが、集中力を発揮してA4用紙3枚ぐらいのボリュームの約50項目を読んでくれました。元々その力があったんですね。

「嫌なのは読まなくていいですよ」と伝えてからやったので、話し合いながら調整を重ねましたが、基本的に楽しんでやっていました。

1年ぐらいかけて信頼関係を築いてきたからこそできたことだと思っています。

僕は福祉の仕事もしていたので、ある程度の精神障がいを持っている人と接する時は、障がい特性を知っておくことは大切なことだと思いますが、同じ部屋で寝泊まりしていたので、支援者ではできない、普通の友人関係ができたと思います。他愛のない話から、時には相手の嫌がる話も無意識にしてしまう。そうすると相手も言い返してくる。そういう普通の関係を作れたことが大きかったと思います。

日本原演習場の中に耕作地やため池、村の神社がある

――演習場の中の耕作地にヒデさんと一緒に入っていきましたね。

俊介 はい。ヒデさんが鍵を開けて入っていくシーンを撮りました。抗議しに行って乗り越えるのではなく、鍵をもらっているということは、防衛省からもここが「生活の営みの場」であることを認められている。実際に一緒に行ってみて、それがよくわかりました。ある種の共存共栄です。「入会(いりあい)権」や耕作権は生活の権利として強いものなのだと肌感覚でわかりました。

――里山を管理する場合も「入会権」のような思想がベースにないと、うまくできないのではと思います。私有になってしまうと公共心が育たない気がします。

俊介 力に対して力で抗議して乗り越えていくやり方もあるけれど、こういった権利を獲得し、それを継承してきていることはすごいなと思いました。

麻子 入会のシーンで地元のおじいさんが「兵隊さんたちが来る前からわしらはこうやって山を守ってきたんじゃ」と言っておられました。あのセリフがすごく印象的だと思っています。演習場への賛否でいうと、あのおじいさんは反対はしていないかもしれない。でも、自分たちはそこで山を守って暮らしてきたんだという、地元の人にしかわからない思いがその言葉に表れています。町は自衛隊との共存共栄をうたっているけれど、そこで生きている人たちにとっては賛否を超えたものがあるんだなと思いました。

――この9月に「土地利用規制法」が施行されましたね。

俊介 国の治安に関する大切な土地を中国などに買い占められるのを防ぐための法律だと思われていますが、結局、外国資本ではなく自国民を規制するだけの法律になったと言われています。そもそも資本主義の観点から見ると、私有を否定する入会やコモンズの考え方は金にならないので許せないはず。そういう意味でも、いろんな人が集って守り続けてきたヒデさんのやっていることが、この法律を根拠に一瞬でつぶされる可能性がないとはいえないのではと危惧しています。影響を受けるのは日本原だけではないと思うので、この映画がいろんな意味で、しっかり考え直すきっかけの一つになってくれたらなと思います。

麻子 映画のタイトルを「日本原 牛と人の大地」にしたのは、偶然にも映画の公開と土地利用規制法施行のタイミングが重なり、「牛と人の大地」を打ち出したかったからです。

――新しくできた法律による負の影響を危惧する人に、国はいつも「大丈夫です」と言いますね。日本原でも最初は「地元の承諾が得られるまで実弾訓練をしません」と言っていたのに、「地元の承諾」を「町議会の承諾」と言い換えていく。そのようなやり方を見ていると、あまり信用できませんね。

想田和弘監督作品「精神0」(2020年)の主人公、精神科医の山本昌知さん・芳子さん夫妻が内藤さんたちを訪ねてきた

麻子 そうなんですよね。「この映画は地味な映画だ、目立つイシューもない」と思われがちですが、これが地味でおとなしくて目立たないままでいられる時間は、もしかしたらそれほど長くないのかもしれない。国は「国防のために」と土地利用規制法などを使ってくるかもしれない。国が強権的な態度になればなるほど、日本原という地味で目立たない土地が最前線になっていくかもしれない。今はちょうどそんな地点にいるのかなと思っています。

――奈義町の人たちは「自衛隊と共存共栄」と言っています。町のフェスティバルと演習場内の入会地にある神社の春の祭りが同じ日でしたね。

俊介 あの町の中で本当に演習場を撤去してほしいと行動しているのは内藤さん一家だけですよね。だから中には、ヒデさんたちが先祖伝承のあの土地を守って「武器ではなくサツマイモを」という思いを共有する人たちと一緒にイモづくりをしたりする活動を疎ましく思う人はいると思います。ただヒデさんは誠実で穏やかな人で、すごく信頼されています。何があろうとちゃんと地区長もやって、皆のために働いていますから。

――大阪から脱サラで農業を始めた人もすごくヒデさんを信頼していましたね。

俊介 そうなんです。人柄ですね。ああ、いい人だなと思うんです。

演習場の中に耕作地を持っていた地元農民たちは代替地をもらって出て行ってしまったので、ヒデさん一家はかなり早い段階で自分たちだけになりました。ヒデさんは日本原に援農に来て、1歳下の内藤早苗さんと結婚してこの地に根を下ろした人です。地元の仲間に去られた時の気持ちを二人にも聞きましたが、言わないですね。「そりゃもう人それぞれですから」と。そういうところも含めて、ヒデさんって偉ぶらない。本音は聞きたかったけれど、自分はこうだから、と。主語が常に自分なんですよ。そこがすごいと思います。だって去っていった人に対して、愚痴ぐらい言いそうじゃないですか。

――人に期待しないということもあるのですかね?

俊介 そんなこともないと思います。映画でアイガモ農法をしていた平井政志さんはヒデさんの高校の同級生で、定年退職してから、ふらっとヒデさんを訪ねてきて「僕にできることをするよ」とサツマイモ畑づくりなどを支えています。畑の柵も廃材で全部作り、内藤牧場の牛舎の手入れも平井さんがしています。

サツマイモを植える大一さんと娘さん

こういう人が突如現れるのは、ヒデさんの人柄ですかね。現役時代はできなかったけれど、自分なりの思いでヒデさんのところに来て献身的にやっている。平井さんも全然偉ぶらない、たぐいまれな人です。彼を見ていると、ヒデさんのためというよりも「自然を大切にしたい」など、自分の生き方としてされている感じがします。

ヒデさんも早苗さんも、絶対に求めない人です。僕がこんな風に映画を撮ったからといって何かをしてくれということもない。来る者拒まずで常にウエルカム。ゆるいけど、すごい包容力です。そういう中で歴史って継承されていくかもしれない。そういう可能性はゼロではない。この映画を見た若い人が「ちょっと日本原行ってみたい」と思ったり、都会の生活に疲れた時に秋の収穫を手伝ったりでもいい。自分にできる範囲で日本原にかかわってくれる人が増えたらうれしいなと思います。

――ありがとうございました。

「日本原 牛と人の大地」公式ホームページ https://www.nihonbara-hidesan.com/

©2022 Kurobeko Kikakushitsu

 




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