天国も地獄も体験したハンセン病回復者、宮﨑かづゑさんの「あっぱれ!」な一代記「かづゑ的」関西で公開

「映画の背景にはハンセン病がありますが、人が生き抜いていくためには何が大事なのかを描いたつもり。かづゑさんには家族の愛情の貯金が目減りしないまま心と体にあり、生き抜いていくための武器となる知恵や知識を読書によって身に着けた。正しい答えは見つからないが、彼女の生き方は、今生きづらさを感じている人たちにとってすごく役立つことだと思う」と話す熊谷博子監督=3月19日、大阪市内で

かつて日本最大の炭鉱だった三池炭鉱の歴史をたどり、その存在がもたらしたものを問いかけた「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」(2005年)、日本初の世界記憶遺産に登録された筑豊の炭鉱夫、山本作兵衛が残した絵と日記、周りの人たちの証言から日本の労働現場と差別の構造を描いた「作兵衛さんと日本を掘る」(2018年)を作った熊谷博子監督の最新作「かづゑ的」が、4月12日(金)から京都シネマ、13日(土)から第七藝術劇場と元町映画館で公開される=舞台挨拶情報はこの原稿の末尾参照。岡山県の長島愛生園で暮らすハンセン病回復者、宮﨑かづゑさん(96歳)の「あっぱれ!」としか言いようのないパワフルな生き様を活写したドキュメンタリー映画だ。

先行して公開された岡山県では「映画を見るまでは、ハンセン病の人の映画ということで、重くて暗い、つらい映画なのではと思っていました。そう思うと、映画館に足がなかなか向かなかったけれど、見たら全然違いました」という感想が多数、熊谷監督のもとに届いているという。キャンペーンで来阪した熊谷監督に話を聞いた。

足掛け8年間の日常に密着した回復者のリアル

信頼する知人から「どうしても会ってほしい人がいる」と連絡が入った2015年7月、熊谷監督は長崎で被爆者を撮影中だった。「その人が勧める人に会って、これまで外れたと思ったことがなかった」ので、長崎から東京に戻る途中で途中下車。熊谷監督は初めてハンセン病回復者に出会った。それが宮﨑かづゑさんだった。出会う前にかづゑさんの著書「長い道」(2012年、みすず書房)を読み、ハンセン病の元患者さんたちはいかに自分が差別されてきたかを訴えるものという先入観が崩れた。

孝行さんがファンの福岡ソフトバンクホークスの試合も2人で観戦

「自分はいかに祖父母や両親から愛されていたか。自分も家族を愛しているから、こういう病気になって迷惑をかけたのがすごく悲しい。そういう始まりで、びっくりしてしまった。読み進めていたら、幼いころの貧しいけれども豊かな暮らし、島に来てからのこと、孝行さんとの結婚と暮らし、とにかくみずみずしい筆致というほかに表現しようがないものが書かれていて、これはすごいなと心を打たれました。

初対面の時、夫の孝行さんもいらして、療養所というと、みんな寝ているみたいなイメージを抱かれがちですが、そこには生活がきちんとあった。それを感じて、とにかくこの方たちの記録はきちんと残さなければならないと、その時点で思ったのです。間に立ってくださった方を通じてかづゑさんに連絡すると、『ああ、あの人ならいいわ』と一言。最初にわずか2、3時間会っただけで、翌年から極めて簡単に撮影が始まってしまったんです」

2016年から23年夏まで足かけ8年間、熊谷監督とスタッフたちの長島愛生園通いが始まった。「頻度は年に2、3回だったり、5、6回だったり。ご夫婦が高齢なので、日頃から緊密に介護の方たちと連絡を取り、できる人がその時に行った。日常を撮ることが大事だったし、かづゑさんが『やりたい』と言ったことを『一緒にやろうね』とやってきました。行くたびに新しいことが起きるし、新しいことを言う。進歩しているので目が離せないのです。コロナの間はZOOMで話をしていたし、8年間伴走して、その結果がこういう映画になりました」

ポスターとチラシにある「できるんよ、やろうと思えば」はかづゑさんの言葉だ。監督は「毎回、そういうふうに言われるので、こちらも勇気と元気をいただけた」と振り返る。

おしゃべりなかづゑさんだが、孝行さんが何か言い始めると、かづゑさんは黙る。「必死に聴いてますよ。孝行さんが何を言うのかなと。すごく気に掛けていることが端々でわかります」と熊谷監督

「この日はスープつくるわよ」「第九の演奏会に行きたい」。かづゑさんの実家の墓参りにも孝行さんの故郷への里帰りにもカメラが同行した。並んで歩く熊谷監督は介助者のようにも友人のようにも見える。

「私、かづゑさんといると、かづゑさんに(ハンセン病後遺症の)障がいがあって、体が不自由なことを忘れてしまうんです。私はかづゑさんがいかにしてかづゑさんになったのかということに興味がありました。今までに読んだ本で一番良かった本は?と聞くと『デルス・ウザーラ』と言いました。ロシアの森林地帯のすごく厳しい環境の中に生きる少数民族のデルスが探検家を案内する話で、黒澤明が映画にもしています。でも、その本を読んだ人に会ったのは初めて。かづゑさんはものすごい読書家で探検記などが好き。自分の境遇に置き換えて、逆境をどう生きていくのかというものを好んで読み、一つを読むと、翻訳者が違うものがあれば、それも全部読む。自分が認知症にならないのは、本を読んでいろいろ考えているからだと、2カ月前に聞きました」

「かづゑさん」はいかにして「かづゑさん」になったのか

タイトルの「かづゑ的」はインパクト大だ。文字はデザイナーが切り絵で作った。

かづゑさんの著書を手掛かりに話を聞き出す熊谷監督。「ご本人の中に有り余るいろいろな思いや記憶があるし、言葉は豊富で記憶が確か。聞き逃すと大事な言葉がポンと一つ入っていたりするので、撮影中は集中していました」

熊谷監督は「昔の作文の印刷物では和江となっているものもありましたが、ご本人が名前を書く時はこの文字です。あまりにも迫力がある文字なので、できればこの文字をタイトルに使えたらいいなと思っていました」

しかし妙案が浮かばない。最初の仮タイトルは「私の長い道」。平凡すぎて数ある映画の中で埋もれてしまうと焦った監督は、いつも英語の字幕版を作ってくれるジャン・ユンカーマンに相談した。彼が付けた英題は「BEING KAZUE(かづゑであること)」。そして「これだけ個性的な人だから、かづゑ的なんとかってどう?」とアイデアを出した。そこでみんなで考えてみたが、その“なんとか”に当てはまる適当な言葉が見つからない。その結果、このタイトルで納まった。

壮絶な人生の中で互いを思いやり育んだ夫婦愛

「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」が公開中の井上淳一監督はこの映画を見て「地に足のついた『人生フルーツ』」とコメントしたという

作品づくりにあたって熊谷監督が一番気に掛けたのは「かづゑさんをこの作品に出すことで、世の中からバッシングされたり、窮地に陥ることがないようにすること。だから編集がある程度出来上がった段階で、かづゑさんや介護の人たちに映像を見せました。かづゑさんはどのシーンも嫌がりませんでした。どこが一番好き?と聞くと『お風呂の場面がいいわ』と。周囲への感謝を常に忘れないかづゑさんは、自分が愛生園で大切にケアされているということを見せたかったのだと思います」

映像にはケアされているかづゑさんが、夫の孝行さんをケアし、孝行さんもかづゑさんをケアしている様子が映る。それはまるで、大ヒットした東海テレビが制作したドキュメンタリー映画「人生フルーツ」(2016年)を見ているよう。昨年、夫を亡くした私は「私はこの境地にはたどり着けないのだな」と少し寂しく思った。(大田季子)

 

かづゑさんは最近、水彩画を始めた。「素敵なのでポストカードにして、著書とともに劇場で販売することにしました。この猫、納得できるまで60匹描いたそうです」と熊谷監督

【舞台挨拶情報】熊谷博子監督と本作のナレーションを務めた女優の 斉藤とも子さんを迎えての舞台挨拶が、関西の上映館3館で行われる。○京都シネマ=4/13(土)10:00の回上映後 ○第七藝術劇場=4/13(土)14:30の回上映後 ○元町映画館=4/14(日)10:20の回上映後

「かづゑ的」公式サイト https://www.beingkazue.com/

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